夢の地・サールナート探検記

更新が一か月以上空いてしまった。『駒形丸事件』を読んだり、課題を片づけたり、マンゴーに舌鼓を打っていたら、6月があっという間に終わってしまった。コロナ禍でオートに乗れない(バラナシは乗り合いばかりでリスク大)+こっちで免許がなくてかなり不便だったので、自転車を買った。すごく快適~。もっと早く買えばよかった。

感染者数が劇的に少なくなっている…今だ!ということで、夢の地・サールナートに行ってきた。

なぜサールナートごときで夢の地になるのかというと、、、感染状況が収まった途端大学が動き始める→テストや課題シーズンになる→テスト終わった!と思いきやまた感染拡大…の流れが定例化していて、近いにも関わらず、なかなか行けなかったので。3月上旬に一度ホストファミリーと行く話があったのだけど、1学期は本当に必死で、学期が終わるまではお出かけする余裕がなかった。そんなこんなで、3月中旬頃に1学期が終わって解放されると同時に、あれよあれよと第二波突入。トホホ…。

第二波は、本当にどこの家庭にも感染者がいるのではないかというような状況で、一歩も出れず。やはり人間、やれるときにやりたいことをやらなきゃあかんのです!ということを再度痛感し、課題が終わったのでサールナートへ。まだテスト控えているけど、テスト終わったら第三波という展開が目に見えているので今のうち!

我が家御用達のオート運転手を1000ルピーで一日貸切ることに。こういうスタイルって初めてだったのだけど、わざわざ毎回オートつかまえて値段聞いたりするのだるいし、サールナートは若干歩くけどオートにのるほどでもないみたいな距離感に寺が散らばっているので、貸し切りにして正解だった。

サールナートは仏教四大聖地のうちの1つ。仏陀生誕の地がネパールのルンビ二ー、悟りの地がビハールのブッダガヤ―、初めて説法を説いたのがこのサールナート、涅槃(死)の地がビハールのクシーナガル。

とりあえず見えてきた順から回ってみる。まずはタイ政府が支援している寺院へ。寺院前でスタンバイしていたガイドに、50ルピーで案内してもらう。「あなたは俺の日本人のお姉ちゃんに似ているんだ!」と言われ、ガイド中、お姉ちゃん!お姉ちゃん!と言われまくる。色々謎だけど放置。

寺院には、4大聖地の絵が飾られていた。右上がサールナートで、弟子に説法を説く図。

まるで絵本みたいな、きれいな蓮の咲いた通りを進む。

ででーん。コロナ禍でなければ、周りの柵はなく、自由に一周して見学できるそう。

寺院を一周してこれで終わりかと思いきや、通りの反対側に連れていかれる。一瞬怪しむ。が、出てきたインド人観光客とすれ違ったので、安心して付いていく。

建物に入ると、サリーの織り機が!おっちゃんが実演して見せてくれた。左にあるのは糸巻き機。バラナシはサリーの名産地でもある。今もこうやって織っているらしい。すげー。

サリーの織り機の先にはやはり。。。!怪しい日本語を話すインド人女性に、「ドウゾユックリ」と迎え入れられる。

何も言っていないのに、サリーをポンポンと広げられる。店内には私1人VS店員5人くらい…。1年半近くの間、コロナ禍で外国人がほとんど来ていなかったのでしょう。まじ良いカモ。

でも物は良いし、ファブインディアより安い印象。サールナートの仏教寺院を描いたものや、インドの結婚式を刺しゅうで表現したもの等、ユニークなものも多くて、あれよあれよと乗せられて、見入ってしまった。

タージマハルの壁にある、モザイクチックな花柄を描いたサリーと、パーティー用パンジャービードレスを作るための布を購入。最後若干押し売りっぽかったし、私が最終決断に入ると店主はいきなりささやき声になって落としにかかるしで、なんだかなぁという感じだったのだけれど、、、秋に知人の結婚式があるし、パーティー服もっと買ったらって養母に言われていたし、まあ良いかということで。

次は、近くのジャイナ教寺院になんとなくふらっと入る。オートの運転手には、5分もかからないから!とか言って、30分くらい居座ってしまった。サールナートは、大したことなさそうと思っていたところがすごく面白かったり、はたまたその逆だったりして、こんな感じで、オートの運転手を丸一日振り回した。

初めてインドに行った時に、ラージャスターンのどこかで超立派なジャイナ教寺院をみて、それがすごく気に入った記憶があって。全面大理石なんだけど、ギラギラはしていなくて、不思議とくつろげるような場所で。それ以来、ジャイナ教=真っ白!みたいな先入観があったのだけど、ジャイナ教にも宗派があって、それによって寺院の造りや信者の習慣も異なるのね~。初知りでした。

平和な雰囲気。ボケ~っとしていると、日本の100円玉硬貨を持ったお寺の方がやってくる。「これはあなたの国の硬貨ですか?何ルピーくらいの価値のものですか??」と聞かれる。「70ルピーくらいですかねぇ」と答えると、「両替してくれませんか。。。!当分日本人が来そうにもないし、ここでは何も役に立たないし、困っているんです。。。!」と必死そうにお願いされた。ジャイナ教についてかなり熱心に説明してくれたし、たまたま細かいお札がなかったので、特別サービスで100ルピー札と交換してあげた。

100ルピー札を渡すと、「これはあなたが施した行為ではないのです。神様があなたにそうさせたのです!!」とすごく嬉しそうにしていた。ふむ。

次から次へと説明用のボードが出てくる。

シタンブラ派は、日本の教科書でも出てくる、白い服を着てマスクをする人たちの派。この寺院は、ディガンブラ派。ディガンブラ派のお坊さんは、真っ裸。。。!ディガンブラ派の説明をする最中、真っ裸なお坊さんの写真が、出てくる、出てくる、、、真っ裸なおっさんをこんなにたくさん見ることは後にも先にもないでしょう、、、。

ジャイナ教にはカーストがない。「礼拝をする時はブラーフマンに、他人と争うときにはクシャトリヤに、商売をする時にはバイシャに、労働をする時はシュードラになるのだ」と書いたプラカードを見せてもらった。この考え方、良いなあ。

寛容で説明上手な方で、ついうっとり聞き入ってしまった。肉さえ食べられれば、ジャイナ教徒になるのだが。

両替した100円玉と、境内で買ったフクロウの土産(200ルピー)。フクロウの置物は、1つの石から手で掘っているらしい。すげー。こんな手が込んでて300円程度って、価格設定どうなってるんやという感じですな。

フクロウの土産を買ったお店からは、チャイを3杯もごちそうになった。「オカワリアリマス」なんて言われて、遠慮もせずガブガブ飲んでしまった。どこから持ってきたチャイかよく分からんが、すごく美味しいチャイだった…!

ここでも、日本語を久しぶりに話したよー!なんて感激される。店主はしみじみと、「昔はベンガル人観光客が多かったから、ベンガル語で商売していた。それから日本人がわんさか来るようになって、日本語を覚えた代わりにベンガル語を忘れていった。今は日本語を忘れてしまいそうだ。」なんて話していた。国内巡礼客も多いバラナシとは違って、サールナートはどこも本当にコロナ禍の打撃が深刻であるように思えた。

ジャイナ教寺院を出て真正面にある、鹿野苑ブッディストセンター。昭和のバッティングセンターさながらの店構えだが(超失礼)、中は粒ぞろいのお土産屋。高級品ばかりでとても手が出なかったので、写真は撮影しなかったが、一本の木から彫った置物で、仏陀が弟子に説法を説いているようなものとか、高級な数珠とかがずら~り。

先ほどのサリー押し売りの教訓から、「学生なんです!買えません!」と宣言しつつ中を見せてもらう。それにも関わらず、Vijay Verma似の店員が、快く案内してくれる。全く商売っ気がなくてありがたい。思わず、Tyagi Bhaiya!!と懐いてしまいそうになる(この話が分からない人は、アマプラでミルザープルを見ましょうw)。

そして驚くべきことに、値札が全て日本円表記(!)。実際にはルピーで買い物をするそうだが、日本人団体観光客(仏教ツアーだからお年寄りが多いのだろう)が、価格帯がパッと分かるように、日本円表記にしているのだそうだ。これだけみても、コロナ禍の打撃がいかに深刻かが分かる。

いつかビッグになったら置物を買いにこよう。

その後は仏陀寺院へ。ここでどしゃーんと雨が降り始める。

ワンちゃん、良い場所を確保したねぇ。。。犬怖いからちょっとは端に寄ってほしいのですが。。でも大人しい子だった。

雨の中、観光強行。

日本寺。閉まってました。近くの中国寺、チベット寺も閉まっていた。残念。。。

日本寺の前には、Japanese Art Museamなる看板が…。コンセプトがよくわからんけど、コロナ前は日本人がたくさん来ていたのだろう。

雨が強くなるばかりだったので、サールナート博物館へ。先輩が以前、あの博物館は粒ぞろいだった!とおっしゃっていたのだけど、おばかな私にはあまりよくわからず…。疲れていたのもあって、サーっと通り過ぎてしまった。勉強して出直します…。

博物館境内の先住民族の工芸品を売る土産屋で、ジャールカンド州の先住民族・ゴーンド族の笛を購入(40%オフセールで、160ルピー。)。口をつけずに風を吹き込んだり、振り回すだけできれいな音がなる。笛を振り回して、牛の群れを動かすのだそう。バーンスリーみたいな深みはなくて、自衛隊の始業のラッパ観たいな音がする(全く分からない例えしか思いつかず申し訳ない。)。

雨も止まないし、かなり疲れてきたので、ここで昼食を取ることに。ネットで気になっていた、UP-65というイケイケのお店へ。UP-65は、バラナシの車のナンバーのこと。

ここは意外と、写真を撮りまくる若者で賑わっていた。

チキンビリヤニを注文。チキンがほとんど入っていなかった…。価格帯高めのわりに、う~んな味。サールナートビリヤニというチョイスをした自分が悪いのかもしれないが…。場所代ですなー。

メニューは品ぞろえ豊富だったのだが、今は、マトン・エビ・魚は置いていないとのこと。まあ客数は減っているだろうから、採算合わなくなっちゃうのだろうな。マトン様、食べたかったよ…。

観光再開。

チョーカンディー・ストゥーパへ。グプタ朝の時に作られたもの。外からボケっと眺めて終了。

お次はダメーク・ストゥーパへ。仏陀が初めて説法を説いた場所!

こはちゃんとガイド聞きたいなと思い、熟練っぽいガイドにお願いする。

このガイド、「俺がガイドした人はみーんな仏教マスターになって帰っていくんだ!マスターのディグリーは俺が付与してんだぜ!!(鼻息ドヤ)」と得意げ。情熱たっぷりにブアァァアァァァァアアアってマシンガンガイドが始まる…ありがたいのだけど、正直言って精根吸い取られましたわ…。

アショーカ・ピラーの下の部分。ブラーフミン文字で何か書かれている。

熟練ガイド、まるでこれからビルマ方面に進軍するチャンドラボースのスピーチみたいなノリで、情熱1000%で話続ける。しかも前もって伝えられていた所要時間の倍くらいかかっている…。話の中身が難しいし、疲れがたまっていただけに、正直言って右から左状態。 भैंस के आगे बीन बजानाとは、まさにこのこと。申し訳ない。

良い景色。雨も止んでくれて良かった。

精根尽き果て、もう無理だ~となったところで観光修了。ガイドの最後には、周りにいるインド人に、「この人日本人なんだぜ!」と言いまくる。マウーから観光にきていた兄ちゃんたちが、「日本は俺の友達さ!シンゾーアベ!」なんて言ってくれる。バラナシ界隈は特に、日本人に対して好印象を抱いてくれることが多いし、安倍前総理のバラナシ訪問がかなり印象に残っているのだなあと思う。

サールナートは日本とのつながりが深くて、人が良くてとっても気に入った。

コロナ禍で入れない場所とかもあったけど、入れる場所では歓迎されて、お寺の人やお土産屋さんのおっちゃんとかを独り占めしてじっくりお話が聞けたので、これはこれで良かった。

日本寺や、ジャイナ教のシタンブラ寺院(この日に行った寺院とは別の宗派の寺院)や、ガンディーアーシュラム(第二波ではガスシリンダー工場になっていたようだけど、今はどんな場所なのだろう)などなど、まだ見たいところは沢山あるので、また気が向いたら訪れたい。