夢の地・サールナート探検記

更新が一か月以上空いてしまった。『駒形丸事件』を読んだり、課題を片づけたり、マンゴーに舌鼓を打っていたら、6月があっという間に終わってしまった。コロナ禍でオートに乗れない(バラナシは乗り合いばかりでリスク大)+こっちで免許がなくてかなり不便だったので、自転車を買った。すごく快適~。もっと早く買えばよかった。

感染者数が劇的に少なくなっている…今だ!ということで、夢の地・サールナートに行ってきた。

なぜサールナートごときで夢の地になるのかというと、、、感染状況が収まった途端大学が動き始める→テストや課題シーズンになる→テスト終わった!と思いきやまた感染拡大…の流れが定例化していて、近いにも関わらず、なかなか行けなかったので。3月上旬に一度ホストファミリーと行く話があったのだけど、1学期は本当に必死で、学期が終わるまではお出かけする余裕がなかった。そんなこんなで、3月中旬頃に1学期が終わって解放されると同時に、あれよあれよと第二波突入。トホホ…。

第二波は、本当にどこの家庭にも感染者がいるのではないかというような状況で、一歩も出れず。やはり人間、やれるときにやりたいことをやらなきゃあかんのです!ということを再度痛感し、課題が終わったのでサールナートへ。まだテスト控えているけど、テスト終わったら第三波という展開が目に見えているので今のうち!

我が家御用達のオート運転手を1000ルピーで一日貸切ることに。こういうスタイルって初めてだったのだけど、わざわざ毎回オートつかまえて値段聞いたりするのだるいし、サールナートは若干歩くけどオートにのるほどでもないみたいな距離感に寺が散らばっているので、貸し切りにして正解だった。

サールナートは仏教四大聖地のうちの1つ。仏陀生誕の地がネパールのルンビ二ー、悟りの地がビハールのブッダガヤ―、初めて説法を説いたのがこのサールナート、涅槃(死)の地がビハールのクシーナガル。

とりあえず見えてきた順から回ってみる。まずはタイ政府が支援している寺院へ。寺院前でスタンバイしていたガイドに、50ルピーで案内してもらう。「あなたは俺の日本人のお姉ちゃんに似ているんだ!」と言われ、ガイド中、お姉ちゃん!お姉ちゃん!と言われまくる。色々謎だけど放置。

寺院には、4大聖地の絵が飾られていた。右上がサールナートで、弟子に説法を説く図。

まるで絵本みたいな、きれいな蓮の咲いた通りを進む。

ででーん。コロナ禍でなければ、周りの柵はなく、自由に一周して見学できるそう。

寺院を一周してこれで終わりかと思いきや、通りの反対側に連れていかれる。一瞬怪しむ。が、出てきたインド人観光客とすれ違ったので、安心して付いていく。

建物に入ると、サリーの織り機が!おっちゃんが実演して見せてくれた。左にあるのは糸巻き機。バラナシはサリーの名産地でもある。今もこうやって織っているらしい。すげー。

サリーの織り機の先にはやはり。。。!怪しい日本語を話すインド人女性に、「ドウゾユックリ」と迎え入れられる。

何も言っていないのに、サリーをポンポンと広げられる。店内には私1人VS店員5人くらい…。1年半近くの間、コロナ禍で外国人がほとんど来ていなかったのでしょう。まじ良いカモ。

でも物は良いし、ファブインディアより安い印象。サールナートの仏教寺院を描いたものや、インドの結婚式を刺しゅうで表現したもの等、ユニークなものも多くて、あれよあれよと乗せられて、見入ってしまった。

タージマハルの壁にある、モザイクチックな花柄を描いたサリーと、パーティー用パンジャービードレスを作るための布を購入。最後若干押し売りっぽかったし、私が最終決断に入ると店主はいきなりささやき声になって落としにかかるしで、なんだかなぁという感じだったのだけれど、、、秋に知人の結婚式があるし、パーティー服もっと買ったらって養母に言われていたし、まあ良いかということで。

次は、近くのジャイナ教寺院になんとなくふらっと入る。オートの運転手には、5分もかからないから!とか言って、30分くらい居座ってしまった。サールナートは、大したことなさそうと思っていたところがすごく面白かったり、はたまたその逆だったりして、こんな感じで、オートの運転手を丸一日振り回した。

初めてインドに行った時に、ラージャスターンのどこかで超立派なジャイナ教寺院をみて、それがすごく気に入った記憶があって。全面大理石なんだけど、ギラギラはしていなくて、不思議とくつろげるような場所で。それ以来、ジャイナ教=真っ白!みたいな先入観があったのだけど、ジャイナ教にも宗派があって、それによって寺院の造りや信者の習慣も異なるのね~。初知りでした。

平和な雰囲気。ボケ~っとしていると、日本の100円玉硬貨を持ったお寺の方がやってくる。「これはあなたの国の硬貨ですか?何ルピーくらいの価値のものですか??」と聞かれる。「70ルピーくらいですかねぇ」と答えると、「両替してくれませんか。。。!当分日本人が来そうにもないし、ここでは何も役に立たないし、困っているんです。。。!」と必死そうにお願いされた。ジャイナ教についてかなり熱心に説明してくれたし、たまたま細かいお札がなかったので、特別サービスで100ルピー札と交換してあげた。

100ルピー札を渡すと、「これはあなたが施した行為ではないのです。神様があなたにそうさせたのです!!」とすごく嬉しそうにしていた。ふむ。

次から次へと説明用のボードが出てくる。

シタンブラ派は、日本の教科書でも出てくる、白い服を着てマスクをする人たちの派。この寺院は、ディガンブラ派。ディガンブラ派のお坊さんは、真っ裸。。。!ディガンブラ派の説明をする最中、真っ裸なお坊さんの写真が、出てくる、出てくる、、、真っ裸なおっさんをこんなにたくさん見ることは後にも先にもないでしょう、、、。

ジャイナ教にはカーストがない。「礼拝をする時はブラーフマンに、他人と争うときにはクシャトリヤに、商売をする時にはバイシャに、労働をする時はシュードラになるのだ」と書いたプラカードを見せてもらった。この考え方、良いなあ。

寛容で説明上手な方で、ついうっとり聞き入ってしまった。肉さえ食べられれば、ジャイナ教徒になるのだが。

両替した100円玉と、境内で買ったフクロウの土産(200ルピー)。フクロウの置物は、1つの石から手で掘っているらしい。すげー。こんな手が込んでて300円程度って、価格設定どうなってるんやという感じですな。

フクロウの土産を買ったお店からは、チャイを3杯もごちそうになった。「オカワリアリマス」なんて言われて、遠慮もせずガブガブ飲んでしまった。どこから持ってきたチャイかよく分からんが、すごく美味しいチャイだった…!

ここでも、日本語を久しぶりに話したよー!なんて感激される。店主はしみじみと、「昔はベンガル人観光客が多かったから、ベンガル語で商売していた。それから日本人がわんさか来るようになって、日本語を覚えた代わりにベンガル語を忘れていった。今は日本語を忘れてしまいそうだ。」なんて話していた。国内巡礼客も多いバラナシとは違って、サールナートはどこも本当にコロナ禍の打撃が深刻であるように思えた。

ジャイナ教寺院を出て真正面にある、鹿野苑ブッディストセンター。昭和のバッティングセンターさながらの店構えだが(超失礼)、中は粒ぞろいのお土産屋。高級品ばかりでとても手が出なかったので、写真は撮影しなかったが、一本の木から彫った置物で、仏陀が弟子に説法を説いているようなものとか、高級な数珠とかがずら~り。

先ほどのサリー押し売りの教訓から、「学生なんです!買えません!」と宣言しつつ中を見せてもらう。それにも関わらず、Vijay Verma似の店員が、快く案内してくれる。全く商売っ気がなくてありがたい。思わず、Tyagi Bhaiya!!と懐いてしまいそうになる(この話が分からない人は、アマプラでミルザープルを見ましょうw)。

そして驚くべきことに、値札が全て日本円表記(!)。実際にはルピーで買い物をするそうだが、日本人団体観光客(仏教ツアーだからお年寄りが多いのだろう)が、価格帯がパッと分かるように、日本円表記にしているのだそうだ。これだけみても、コロナ禍の打撃がいかに深刻かが分かる。

いつかビッグになったら置物を買いにこよう。

その後は仏陀寺院へ。ここでどしゃーんと雨が降り始める。

ワンちゃん、良い場所を確保したねぇ。。。犬怖いからちょっとは端に寄ってほしいのですが。。でも大人しい子だった。

雨の中、観光強行。

日本寺。閉まってました。近くの中国寺、チベット寺も閉まっていた。残念。。。

日本寺の前には、Japanese Art Museamなる看板が…。コンセプトがよくわからんけど、コロナ前は日本人がたくさん来ていたのだろう。

雨が強くなるばかりだったので、サールナート博物館へ。先輩が以前、あの博物館は粒ぞろいだった!とおっしゃっていたのだけど、おばかな私にはあまりよくわからず…。疲れていたのもあって、サーっと通り過ぎてしまった。勉強して出直します…。

博物館境内の先住民族の工芸品を売る土産屋で、ジャールカンド州の先住民族・ゴーンド族の笛を購入(40%オフセールで、160ルピー。)。口をつけずに風を吹き込んだり、振り回すだけできれいな音がなる。笛を振り回して、牛の群れを動かすのだそう。バーンスリーみたいな深みはなくて、自衛隊の始業のラッパ観たいな音がする(全く分からない例えしか思いつかず申し訳ない。)。

雨も止まないし、かなり疲れてきたので、ここで昼食を取ることに。ネットで気になっていた、UP-65というイケイケのお店へ。UP-65は、バラナシの車のナンバーのこと。

ここは意外と、写真を撮りまくる若者で賑わっていた。

チキンビリヤニを注文。チキンがほとんど入っていなかった…。価格帯高めのわりに、う~んな味。サールナートビリヤニというチョイスをした自分が悪いのかもしれないが…。場所代ですなー。

メニューは品ぞろえ豊富だったのだが、今は、マトン・エビ・魚は置いていないとのこと。まあ客数は減っているだろうから、採算合わなくなっちゃうのだろうな。マトン様、食べたかったよ…。

観光再開。

チョーカンディー・ストゥーパへ。グプタ朝の時に作られたもの。外からボケっと眺めて終了。

お次はダメーク・ストゥーパへ。仏陀が初めて説法を説いた場所!

こはちゃんとガイド聞きたいなと思い、熟練っぽいガイドにお願いする。

このガイド、「俺がガイドした人はみーんな仏教マスターになって帰っていくんだ!マスターのディグリーは俺が付与してんだぜ!!(鼻息ドヤ)」と得意げ。情熱たっぷりにブアァァアァァァァアアアってマシンガンガイドが始まる…ありがたいのだけど、正直言って精根吸い取られましたわ…。

アショーカ・ピラーの下の部分。ブラーフミン文字で何か書かれている。

熟練ガイド、まるでこれからビルマ方面に進軍するチャンドラボースのスピーチみたいなノリで、情熱1000%で話続ける。しかも前もって伝えられていた所要時間の倍くらいかかっている…。話の中身が難しいし、疲れがたまっていただけに、正直言って右から左状態。 भैंस के आगे बीन बजानाとは、まさにこのこと。申し訳ない。

良い景色。雨も止んでくれて良かった。

精根尽き果て、もう無理だ~となったところで観光修了。ガイドの最後には、周りにいるインド人に、「この人日本人なんだぜ!」と言いまくる。マウーから観光にきていた兄ちゃんたちが、「日本は俺の友達さ!シンゾーアベ!」なんて言ってくれる。バラナシ界隈は特に、日本人に対して好印象を抱いてくれることが多いし、安倍前総理のバラナシ訪問がかなり印象に残っているのだなあと思う。

サールナートは日本とのつながりが深くて、人が良くてとっても気に入った。

コロナ禍で入れない場所とかもあったけど、入れる場所では歓迎されて、お寺の人やお土産屋さんのおっちゃんとかを独り占めしてじっくりお話が聞けたので、これはこれで良かった。

日本寺や、ジャイナ教のシタンブラ寺院(この日に行った寺院とは別の宗派の寺院)や、ガンディーアーシュラム(第二波ではガスシリンダー工場になっていたようだけど、今はどんな場所なのだろう)などなど、まだ見たいところは沢山あるので、また気が向いたら訪れたい。

『深い河』

コロナ第二波の影響で、5月5日~20日まで大学が一斉休講。なぜかオンライン授業も一斉にストップに。去年の第一波でオンライン環境も整っただろうに、何故…。つくづくインドの大学ってまじやる気ないなーと感じる。まあ私のコースでは、面白い授業の先生に限ってコロナに感染してしまい、どの道授業ができなかったようなので、まあ良いか。

5月21日にようやく授業再開。久しぶりに先生や同級生とオンライン上で再開!と思いきや、5人中2人の先生が丸坊主になっていた。親が危篤状態で、病院での見舞いの合間を縫って授業をしてくれた先生も(その先生の授業はいつも情熱にあふれていて、議論形式で毎回面白い。このコロナ禍でも決して休講にしない、インドでは珍しいタイプの先生。)。

そんなこんなで、いつも以上に大学に期待ができなかった5月は、新聞をしっかりめに読んだり、家庭教師のコマ数を増やして作文を見てもらったり、日本語の本を中心に読んだ。コロナ感染疑惑の直後は、しばらくヒンディー語の難しい文章を読む気にならず、日本の本の積読消化に徹した。

最近は、遠藤周作『深い河』、グルチャラン・ダス『インド人と日本人』(前書きは鈴木修氏)を読んだ。あと、『インドでキャバクラ始めました(笑)』という漫画も、コロナ騒動後に怠さが続いていた時期にパラパラと読むのにちょうど良かった。インドに来て半年、バラナシに来てからは特に、異国で奮闘している人の体験記がすごく響く。twiceの日本人メンバーとかめっちゃ応援するようになった(笑)

深い河 (講談社文庫) | 遠藤 周作 |本 | 通販 | Amazon

『深い河』は、読もう読もうと思って読めていなかった本の1つ。本の内容をすぐ忘れちゃうので、ネタバレ備忘録を書いておきたい。

本作品は、日本人向けのバラナシツアーが題材。ツアー客には、個性豊かな面々が揃う。

素直になれない故に旦那ともうまくいかず、人生をさまよう美津子。キリスト教系の大学に通いながらも宗教を徹底的に嫌っていた。ツアー中には、聖母マリアとは異なる、苦悩をも備え持った表情の女神、チャームンダー像に感銘を受ける。そして、忘れられない大学時代の同級生、大津に再会する。大津は、フランスの修道院で神父を目指していたが、汎神論的な考えを捨てられずフランスでは異端扱いされ、バラナシにやってきていた。不可触民と共にアーシュラムに住みつつ、バラナシの路上で行き倒れた遺体をガートに運ぶボランティアを行っていた。

癌で妻を亡くした磯部は、インドのバラナシ近郊の村に、日本人の生まれ変わりの可能性が高い子どもがいるという情報を入手する。生まれ変わりなど信じるタイプではなかったが、藁にもすがる思いでツアーに参加する。現地についてみると、その子どもは既に引っ越していたことが発覚し、酒に酔い自暴自棄になり、高価な怪しい占い師に最後の望みをかけ、なんとか気持ちにケリをつけようと試みる。

木口は、ビルマ戦線で仲間を大量に失い、死んだ仲間の肉を食べて生き延びた経験を持つ。仲間の供養を望みツアーに申し込むが、現地でインドが仏教国ではなくなっていたことを知る。

絵本作家の沼田は、自分が手術で生き延びた時に飼っていた九官鳥が亡くなった経験から、バラナシで九官鳥を購入して、森に放して恩返しをしようとする。森の中に飛び立つ九官鳥をみて、少し気持ちが楽になる。

三條夫妻は、新婚旅行としてツアーに参加するが、カメラマンを目指す旦那は撮影の題材探しに没頭し、妻はシルクや宝石にしか興味を示さず、あたり構わずヨーロッパに行きたかったとわめき散らかす、少し迷惑な存在。

旦那はガートに運ばれる遺体の撮影を試み、それに怒ったインド人達に追いかけられるが、三條を庇おうとした大津が殴られ重体となってしまう。物語は、コルカタ空港についた美津子が、大津の重体を知らされるシーンで終わる。

一人ひとりが人には言えない悩みやトラウマを抱え、バラナシにやってくる。宗教や生死問わず、「深い河」は全てを包み込んでくれる、という話。

遠藤周作の他の作品はあまりついていけずに途中離脱してしまうことが多いのだが(自分自身が何も信じていないことと、キリスト教に関する知識不足が原因だと思う)、今回はインドが題材ということもあって楽しめた。十八番のキリスト教、本書の舞台となったインド、戦争を経験した世代だからこそ書けるビルマ戦線の話等、色んな要素が詳細に書かれていて、それが全てバラナシでつながるので、読み応えがありつつも、まとまりの良い本だった。

遠藤周作は戦後フランスに初めて留学した日本人。フランスやキリスト教に関する記述が詳しいのは当然だけれど、インドに関する記述も負けず劣らずしっかり書かれていて、やっぱりすごい人なんだなあと思った次第。

本書執筆のために遠藤周作がインドに行ったのは1990年。今でこそ在留邦人数も増えてきて、一部ではインドへの理解も深まりつつあるけれど、ネットで情報も大して入らない時代に旅行会社のインドツアーに参加していた日本人ってこんな感じだったのだろうか。

私がインドに行き出したのは2010年代からだけど、慰霊目的の木口、インドに来てわざわざインド嫌い宣言をする三條の妻なんかは、あーこういう人、見たことある〜という感じだった。

個性豊かな登場人物ながらも、人物描写がリアルで良い。何らかの目的を持ってツアーに参加して、その目的を達成する人もいれば、お金だけ巻き上げられてとことんうまくいかない人、よくわからないけど気持ちが楽になった人など、各人の結末も現実的。じっくりインドを見た上で書いたのだろうなぁと感じた。

コロナのせいでもう3ヶ月近くガンジス川付近に行っていないのが寂しい!今はただ行って、何もせずボーッとしたい。。。それだけでとても贅沢に思える。

去年のガンジス川

闇肉の話

最近暗い話しか出てこないので、バラナシで2回牛肉を食べた時の出来事を勝手に告白しようと思う。需要なさそうだけど。

1回目は、感染者数が大分下がっていた時期にゴードーリヤーのちかくで。

この水牛ロールが20ルピー!素晴らし過ぎる。。。。

チベット人地区で水牛食べた時に独特な匂いがした記憶があったけど、これは日本のマックのハンバーガーの肉みたいで本当に美味しかった。

水牛カレーもあったけど食べず。

この店は、ちょっと小道に入ったムスリム居住区にある。寡黙な店主が、周りをキョロキョロしつつ、言葉少なに色々教えてくれた。ヒンドゥー教徒も来るらしい。この誰に見られてるか分からん小さな街で、すごい、、。さぞ勇気を振り絞ってくるのだろう。

食べ終えて大通りに出ると、そこは一気に典型的なバラナシの景色が広がる。サモサにジャレービーなど、ベジタリアンの屋台が永遠と並ぶ。何気ない顔して歩きつつも口の中には牛肉の風味が残っている。なんという背徳感〜〜!!同時にビールも飲めたらいいんだけどなあ、なんて贅沢を言ってみる。ちなみにそのあとビールを買って家に帰ってからこっそり飲んだけど、微妙だった。惜しい。くぅぅ、肉とビールが同時に手に入りさえすれば良いのに。。。!!

なんかバラナシに来てから中二病っぽくなってしまった自分がいる。ちょっと肉食べたりビール飲んだだけですっごく気分が上がって、人生で初めてお酒を飲んだ時みたいになる笑

2回目は、意図せず牛肉に遭遇。私は悪くありません。

ででーーーん。昼夜がっつりインド飯が出るから、朝は割と好きに料理させてもらってる。で、朝飯用に、Amazonで醤油とわかめスープをオーダー。

Maggiも飽きてきたので、こんな感じでmaggiの麺+わかめスープ+醤油塩ゴマで謎なラーメンもどきを作っていたのだけど、このわかめスープ、どう考えても牛肉味!怪しげな茶色い筋みたいなのもウヨウヨしている。

怪しい!と思ってパッケージを見ると、牛肉の表記が!第二外国語の授業で習得した中途半端なハングル読解力がこんなところで役に立つとは、、、Amazonにはベジタリアン商品って書いてあったんですけどねぇ。テキトーすぎ。

おまけ。どうしても用事があって、1か月ぶりに30分だけ外出した時の写真。牛さん暑そうでした。

道がガラガラ過ぎて、普段は賑やかなアッシー界隈も不気味なくらい静か。

今は土日月ロックダウン、残りの火水木金も午前中のみ営業になっているけど、このまま感染者数が増えていったらデリーみたいに長期間ロックダウンになるのも時間の問題だろうなぁ。

平日の午後に外に出たら、ATMと酒屋しかやっていなかった(パーン屋さんは、シャッター半分だけ開けてこっそり営業していた模様w)。

なんかガラガラすぎて、面影すらない。この写真を見てどこか分かったあなたはバラナシマスター認定です!

国難

第二波がやばい。毎日毎日、テレビや新聞では、病院の前で診察も受けられずに亡くなっていく人たち、酸素が尽きて息途絶えた人たちの話で持ちきり。火災が起きたり酸素漏れで多数の死者を出した病院も。

第一波の感染ピーク時でも1日あたりの感染者数が最大10万人弱だったのに、第二波は一か月程度で35万人まで到達してしまった。

インド在住者・在日インド人の中で、自分の周りでは誰もかかってないと言う人は多分いないと思う。インド政府関係者のツイッターを見てると、毎日のように誰かしらの訃報ツイートをしていて、本当に国難なんだなあと思う。SNSを見ていても、訃報の投稿や「酸素・薬 急募」みたいな投稿で溢れている。

いかにインドの感染拡大がやばいかがわかる図。

第二波真っ只中の大学院生活

今学期私のコースを担当している教授陣も、5人中2人陽性(この2人の授業だけがおもしろかったのに…)、2人体調不良(元々サボりがちな先生なので真偽の程は不明)ということで、まともな授業がでしていない。一番つまらない授業をしていた先生だけが元気。いや健康一番でなによりなんですけどね。他学部では教授や学生の訃報が次々と入ってきている。

陽性だった教授が1人復活して、「みんな元気かーい?!」と呼びかけられ、みんなで「シーン」となってしまった。多分みんな家で誰かしら感染しているのだろう。私も例外ではなく、ホームステイ先のお父さんが感染してしまい、私もかかったと思ってたので、何も答えることができず。先生は何かを察したのか、「絶対に外に出るな!トゥルシーを沸かして飲め!トマトを沢山食べろ!僕はコロナに勝った!みんなも勝とう!!!」と全力で呼びかけられた笑

週末ロックダウン中に結婚式をする人たち

ホームステイ先のが陽性

ホームステイ先家族は全員かなり気をつけているものの、養父が陽性に。養父が陽性になってから、私にもコロナっぽい症状が出始めた。咳が出たり、ものすごい怠さを感じたり、頭痛がしたり、嗅覚が無くなったり、味覚がおかしくなったり。

嗅覚がなくなるのって意識して確認しないと気付かないなと思った。お気に入りの石鹸を意識して嗅いだら全く匂いがしないことに気付き、香水やスプレー類を嗅いでもダメ、オールドモンクの瓶に鼻を突っ込んでも何も感じない!ということで、これは移っちゃったなーと思ったのでした。本当にこうなるのか〜と若干関心してしまった。数日後、かすかに嗅覚が戻り始めた時は本当に嬉しかった!!

味覚もおかしいような気がしているんだけど、何せクセのある食べ物しか出ないので確かめようがない。チョコレート食べたら、周りについているナッツの味しかしなかったので、多分甘味だけ鈍くなっているような気がしている。

甘味感じないかも〜と言ったら、ものすごい量の砂糖がかかったヨーグルトが出るようになった…。

PCRテスト

今は検査能力も落ちていて、養父陽性発覚後、1週間経ってからようやく検査→4日後に結果が出た。結果はなんと全員陰性。うそだろ。。。!!

検査テキトーにやってる的な噂をよく耳にしたけれど、噂が確信に変わった瞬間だった。検査に来た兄ちゃんの嫌そうな顔が脳裏に焼き付いている。

日印カルチャーショック

このコロナ騒ぎの2週間くらいで、家族の考え方や行動様式にカルチャーショックを覚えることが多かったので、記録しておきたい。もちろん、一家庭の考えに過ぎず、違う考えのインド人は沢山いるだろうし、印象に残ったことを記憶に留めておくのが目的なので悪しからず。色々書いてるけど、ホストファミリーはかなり良識のあるいい人たちです。

・養父の陽性が発覚した途端、感染拡大真っ只中の都市から、娘と息子が即駆けつけてきた!誰も面倒を見る人がいないならともかく、日本で今東京から地方に駆けつけるなんてありえないよなー。こっちの家族愛には目を見張るものがある。

・感染した=接触した人に迷惑をかけたという考えは一切ない。養父の陽性によって、私はたまたま外せない予定をキャンセルせざるを得なかったのだけど、申し訳ない的な反応は一切なし。これに関しては、インドの考え方が正しいと思う。遊び歩いてる人とかは別だが。

・陽性判明した途端、親戚からめっちゃ電話がかかってくる。忙しくてそれどころじゃないのに電話が止まらない。今忙しいだろうからそっとしておこう的な発想がまるでない。少し前に日本在住の親戚が陽性になった時も、毎朝毎晩養母が鬼電していた…日本人的には迷惑だけど、こっちだと違うのだろうなー。日本で陽性になったのは姪っ子の旦那というビミョーな間柄だったけど、病状を聞いては号泣したりしていた。どちらが良い悪いとかではなくて、家族親族の距離感は本当に違うなあと思う。

・メイドの命は軽い。二つ前の記事でも書いたけど、メイドが発熱した時は即出勤停止になったが、養父が陽性になった時はしばらく普通にメイドに仕事をさせていた。そのあと、メイドが感染源になり得るかもしれないからというトンデモな理由で、メイドの出勤は停止になった。今まさにメイドを再開するか家族会議中だが、私達が陰性だったから再開すべきという父 vs メイド達に移されるから呼んだらダメという娘が対立している…。一つの話をめぐって対立してるのに論点がズレているので、聞いていて突っ込みたくなる。メイドもメイドで、こんな大変な時に薄給で来てくれるのに危険視されるっていうのがすごく不憫。

・メイド(特に年配者)の知識レベルが恐ろしく低い。養父陽性が発覚した日もソーシャルディスタンスを取ろうとしていなかったし、コロナ陽性になったと言ってもしばらく信じていなかった。そもそも石鹸で手を洗う姿を見たことがない(石鹸のパッケージとか「これなんて書いてあるか読んで」とよく頼まれるので、どういうものかもよく分かってないのだと思う。大体石鹸類ってパッケージ英語だしね。。)。糖尿病持ちのおばあちゃんメイドは、養父陽性後も毎朝玄関で待っていたそう。。

・一概には言えないけれども、マルチタスクが降ってきた時のキャパが小さい。普段から、家事を全てメイドに任せている+仕事でも日本みたいに働き詰めになることはまずないので、メイドの出勤を止めて家事をこなし、更に隔離者に食事を運ぶ作業が発生するとキャパオーバー。日本みたいに激務+家事に忙殺される生活もどうかと思うけど、こっちの人キャパオーバーするの早いな〜と思うことはよくある。

PCRテストの結果を100%信じている。

・「嗅覚と味覚のどっちかだけが消えた場合はコロナじゃなくて風邪」らしい。日本だとちょっとググれば厚生省のホームページで否定されているようなことがまかり通っている。

・濃厚接触者にあたる養母と、陽性者と接点のない娘・息子がどう暮らすかについて、家族内でマスクすれば移らないと医者から言われた。いや食器一緒だし飯一緒に食ってるし無理があるだろ。。。

・オンライン診療はすごく便利。医者にいつでも電話できて、薬を指示してくれる。薬局も多い。このコロナ禍で病院に行かなくていいのは本当にありがたい。

・ワクチンを絶対接種するように使用人達に勧めまくる。副作用の可能性を考慮するだとか、そもそも接種するかどうかは本人の判断を尊重すべきといった考えはない。5月から18歳以上が接種可能になるわけだが、私も今めっちゃ打て打て言われてる。。。

2週間ずっとベジばっかりで、一回だけご飯をパスしてケンタッキーをオーダーして食べていたらノンベジの回数が増えた!勝利!

コロナって日本人同士でも感染対策面なんかで意識の違いが出たりしてストレス溜まるものだけど、この2週間はかなり精神的にしんどかった。こっちの人がどういう考えなのかわからないし、何かの時に病院で診てもらえる可能性はほぼ低いし、酸素はないし。

養父が陽性になった時に、娘に「あんたは自室にいなさい」と言われたのだけど、それは、私が陽性者という可能性が高いから隔離をしてほしいのか、私自身が自分の身を守るために隔離すべきだという考えの元で隔離を依頼しているのか、本心が見えなくて辛かった。この家はよくも悪くも外国人慣れしている家庭なので、たまに日本人的に取り繕われてしまう。それによって却って何考えてるのか分からなくて苦労した。母と娘の感染対策の考えも雲泥の差があって、どっちに従えば良いのか迷ったり、一人で勝手に気疲れしていた。

後々落ち着いて考えると私の言葉の伝え方にも問題があったのだけど、はっきり考えていることを言わないと分かってもらえないんだなーという当たり前のことを痛感した。日本人的な「察する文化、取り繕う文化」は、インドでは周りに察することを求めるめんどくさい子になりかねないので、要注意だなと反省。。。徹底的に染み付いた日本人的な価値観が重荷になって、1人で空回りしていた2週間でした。

インドの薬、個性強すぎ

アラサーの娘と息子はしばらく我が家にいるのだろうな。子どもたちが来てくれる前は、養母がキャパオーバーしてわんわん泣き出してメイドと私で何もできずオロオロしたりしてたので、来てくれてありがたかった。

インドで気疲れする度に、日印夫婦ってまじで偉大だなって思う。。。日印って、神様だのFOIPだの共通点ばっか強調されるけど、違うところはほんと違う。私の周りでうまくいってる日印カップル・夫婦は、みんな根から優しい人が多い気がする。違いを受け入れる器が大きいんだろうな。。。

父ちゃんはまだぐったりしているけど、このまま無事に回復しますように。そして早く第二波終われ!!

『総理通訳の外国語勉強法』

コロナに罹ったかわからないが、とりあえず自主隔離をしているので、人と話すこともなくなった。気分転換にちょっと気になっていた本を読んだ。

ででん。

Kindle本体の電池が切れていたので、apple bookで読んでみた。サクサクだし、iphone12だと画面が明るいし、日本語の本は今後こっちで読もうかなと思った。

肝心の中身ですが、期待外れというか、読者対象が全然違うなという印象。語学畑の人間にとっては、聞いたことがある話ばかりになると思う。もっと御自身の通訳体験とか聞いてみたかったけど、書けることと書けないこととあるのでしょうね。

この本は、語学習得に関心のある高校生〜大学生か、語学に縁の無かった社会人が片手間に読む用に、易しく書かれているなあという印象を受けた。

ただ、この方はスピーキング重視で勉強しているという点で、私とはかなり違う家庭教師の使い方をしているようだったので、その点は参考になった。

私はそれなりに理解できる段階で留学に来てしまったのと、インドという難解な国に来てしまったこともあって、背景知識をつけることを重視しすぎたかもしれない。

もっとスピーキングをガンガン指摘してもらう方向に軌道修正しないとなと思った。あとは、同じ先生ばかりに習っていると私のミスや発音に慣れてしまうというのは首がもげるほど同感なので、そろそろ新しい先生をちょっと投入するのもありかなと思った。

リーディングばかりを黙々とやると成果が出たと勘違いしてしまうというのは耳が痛い。リーディングって「これだけ読んだ」というのが見えるのと、知識がつくから、勉強した気になっちゃうのよね。リーディングを真に必要とするのはその外国語を通じてしか知識を得られない上級者のみ、つまり、「最後の仕上げ」と書いてあって納得。読まなきゃいけないインド史の本がどんどん積読されていくのにも危機感を覚えるけれど、本来身につけなきゃいけない能力にも労力を割かないとなぁ、と思ったのでした。

使用人の命は軽い

養父がコロナ陽性になった。かなり初期にワクチン2回接種済みだったのに〜!

嘔吐等はあったものの、持病で元々咳が出がち+熱が出ていなかったので気付くのが遅くなった。酸素量低下により即入院。この病床不足が叫ばれて、連日のようにBHU関係者の死亡が伝えられるバラナシで、即入院できるとは思っていなかった。

知らせを聞きつけて、デリーに住む娘とムンバイに住む息子がすぐさま駆けつけてきた。感染2大都市から人が集まる。日本だったら来るな〜!!となるところだけれど、インドは家族第一なのでこの辺りの考えがまるで違う。日本で帰省自粛が良しとされていることや、祖母の住む田舎で東京から来た人がいるとデイサービスを断られることを話したら、逆にドン引きされるんだろうな。。

養父の入院後、養父が触ったと思われるところを消毒。養母は連日同じ部屋で寝てたのに何故か陰性。ウソだろー!BHU界隈で、最近のPCRテストは熱がある人は陽性にして、熱がない人は陰性にしているらしいみたいな根拠があるんだか分からん噂を複数名から聞いたけど、あれは本当なのかもしれない…。

残された養母、駆けつけてきた娘と息子、私の4人で生活スタート。同じ家の中ではどうしようもないので、みんなマスクをつけて距離を取って、手洗い消毒を多めにするしかない。私はなるべく別フロアで過ごしているけれど、同じ家だから罹らない確証はない。養母は、マスクをつけて距離を置いていれば移らない!と自信満々に言う。

インドは、というか私の周りの人たちは、病院に対する信用の無さ+アーユルヴェーダホメオパシー(!)の普及のせいか、医者の意見に耳を傾けずに自己流判断する人が多いように思う。。。感染対策の限度やベクトルがまるで違う。家族の距離感の違いや、毎日のように外からメイドが来て家中で過ごすといった生活環境の違いなんかが絡んでいるのだろうなー。

問題はメイド。この家は家事のほぼ全てをメイドにやってもらっているわけだけど、昨日の朝、父の発熱が分かり、昼に陽性が判明したあとでも、養母はメイドが来るのを止めなかった。メイドの中には、ヨボヨボの糖尿病持ちのおばあちゃんもいれば、家族に持病持ちの人もいる。信じられない…。

1週間前、1人のメイドが発熱した時には、即座に出勤停止になった。が、自分たちがコロナ陽性になってもメイドには来させる。しかも、養父が陽性になったことを黙っていた(私はこっそり全メイドに教えた)。まあ、肝心のメイド本人達も、そんなに危機感ないというか、感染対策の知識がまるでないのだが…。

昨日1日モヤモヤしていたら、今日の朝、食器を洗う養母の姿が。メイドの出勤を5日間停止にしたそう。うんうんそうだよなあ、と頷いていたら、「彼らは外からやってくるでしょう、彼らがキャリア(ワクチン運搬者)ということだってあり得るのよ」とのこと。衝撃である。キャリアは私たちだろ…と思わざるを得ない。普段一切悪口とか嫌味を言わない良識のある人なので、悪気なく本心でそう思っているんだと思う。

去年のロックダウン中は全てのメイドの出勤を止めていて、私の家賃が入るようになってからメイドを再開したとのこと。私が居続ける限りはメイド達も来続けるのだろう。複雑…。

現金社会のヴァーラーナスィー

ホームステイ先の家賃(2万5千ルピー+エアコン代月2500ルピー)を払うため、毎月初は現金確保に奔走しています。

銀行送金にしてくれたら助かるけど、ほぼ全部現金で生活している家なので、仕方ない。

ちなみに、母ちゃんの勤務先のガバメントスクールでは、先生たちが銀行口座を持ってない人たちが多いので、現金で給与支払いをしているそう。みんな、高額紙幣廃止の恐怖を忘れたんか。。?!口座払い→ATMに行くよりはずっと楽なのだろうけど、ちょっと驚きです。

今月も、ATMの多い通りにいく。あまりに現金が出てこなくて大変でしたというクソどうでも良い記録。どこでもお金が出てきて、どの会社の機械もボタンの押し具合が同じで、プライバシーが確保されている日本のATMの偉大さよ。。。

1台目。キャッシュなし。これくらい想定内ですわ!はい次次〜。

2台目↓。まさかの前の人がカードを忘れてて、触るにさわれない状態。。。日本だったら交番に電話だけど、異国で変に関わりたくないので見なかったことにして静かに立ち去る。

3台目。店じまい。だんだん日が暮れてくる。

4台目。使えず。

5台目。銀行に併設されたATM。お花が飾ってあって、ゴミ箱の中にゴミがきれいに入れられている。この管理が行き届いている感じは期待大!

1万ルピーを下ろしたところで限度越え。すっかり暗くなってしまったのでゲームオーバーーー🎮

翌日アッシーエリアのSBIに行って、これでもかというくらい現金を下ろしました。ここは出が良いのでいつも行列ができる。やっぱ銀行併設のところに行くべきですね。

またロックダウンになってお金が思うように下ろせなくなるのが怖いので、2か月分の家賃くらいの現金を確保。

家賃支払い用の封筒も今後のために沢山買った。初めて入った文房具屋のおっちゃんに、「こんな沢山封筒買って何に使うの?ばら撒くの?」「え、家賃?いくら払ってんの?」「二万五千?!高すぎるよ姉ちゃん!」などとズケズケ言われる。

便利な高級住宅街で安全が確保されていて、プライバシーを犠牲にして、このコロナ禍で一緒に衣食住を共にさせてくれているので、高いとは全く思わないけどね。

ちなみに、父ちゃんが不在だった一昨日は、一人で寝れない母ちゃんとダブルベッドで寝ました。。この家の息子娘、メイドさんに話すと、驚くでもなく「そうなんだー」という反応。インドの人同士の距離感、未だに難しい。