食い倒れホーリー

1週間続いたホーリーの休みが終わったと思いきや、昨日はグッドフライデーで大学がまた休み。今日は授業がある日だけど、案の定休講w

今年のホーリーはコロナ禍で大学の同級生の大多数が自分の村に帰ってしまったので、ホーリカーを見ることも色粉で遊ぶこともできず。

そもそも、うちのエリアはムスリムが多いこともあって、大通りに出て少し歩かないとホーリカーが見えないのですよねぇ。コロナ第二波を受けた規制もあって大音量カーは意外と少なかったけど、前日からパトカーやら救急車の音がすごかった。

ホーリー前日にスペイン人の友達とガンガーに遊びに行った時の写真。ガキ大将みたいな子が自前のゲートを封鎖して、「チャンダンのおーかーね!」とマトカーを出してねだってきた(身なりからして、物乞いの子ではなさそうだった)。公共の場でこれをやる発想がすごい。

可愛い…と思いつつ、「開けなさい!」とつい口走ってしまった。ケチなババアで申し訳ない。

ホーリー当日の朝は、「散歩行ってこようかな〜♪」と言ったら「午前中は絶対出ちゃダメ!!」とのこと。外国人や女性が一人で出歩いたら絶対嫌な目に遭うらしい。

大人しくお家にいると、家の前を次から次へとガラの悪い男の子たちが通る通る…。昼間に路上で酒飲んでる人初めて見た。父親とバイクに乗った女の子以外は、女性を全く見なかった。こりゃ外出れませんな。納得です。

家では朝から、親戚10人くらいでグループトークをしたり、次から次へと電話、電話、電話…。友人宅へ遊びに行っても、電話、電話、電話…。マーマー、マーミー、バディージャー、ダーダー、モースィー、チャチェーラーバーイーキーベーティー、、、ただでさえ複雑なインドの親戚を指す代名詞がこれでもかというほど飛び交う!勘弁してくれ〜笑

そんなわけで、お母ちゃんと静かにお家ホーリーでした。

グラーブジャームンの生地をこねこね。。。記事の中身にもザラメを数粒入れる。

ギーで揚げて、膨らんだ生地を鍋の外に出して、チャーシュニー(シロップ)に漬ける。

美味しい🥺🥺🥺

グラーブジャームン、今まで美味しさが分からなかったのだけど、作りたては格別…!シロップにつける前のやつも、サーターアンダギーみたいで美味しかった〜〜!!

続いてマールプアー。मालपुआ。ホーリーの時に作るお菓子なんだとか。さつま揚げみたいな見た目だけど、上品な甘さ💕今まで食べたミターイーの中で1番美味しかった🥺🥺🥺

インドのお菓子ってギーの風味も良いし、ピスタチオとかナッツ類がふんだんに使われるからリッチ感がある。

↓は、ホーリーの日の夜に家族ぐるみで仲良いお宅に遊びに行って、キールと引き換えにもらったマールプアー。

味はマールプアーなんだけど食感はグラーブジャームンみたいで、これはこれで美味しかった!

これ↓は貰い物のグジヤー。これはホーリー定番ですね。2年前のホーリーで、ラクナウの知らない人の家でご馳走になったグジヤーが懐かしい。

母ちゃんの隣で生地をコネコネしつつ、手伝ってる風な雰囲気を醸し出して、片っ端から味見する。熱々でうめ〜〜と悶絶してたら、シクシク泣き出す母ちゃん😲😲

お菓子を作りながら、昨年亡くなった実母をおもいだしたそう。お母さんも毎年熱々のを作ってくれて、毎年こうやって食べていたのよ。。と。

みんなでお菓子を作って、みんなで食べて、友達や親戚とも分け合ってお互いに食べさせる。家で過ごすインドのお祭りも良いなあと思ったのでした。

お昼ご飯は、お祭りの時に出てくる「カリー」とライスとパッパド。パッパドもホーリーの時に食べるとは、知らなかった〜。

純インド飯が続いたので、そろそろ冷たいビールとかマックとか、ジャンキーな飯が恋しい。笑 今日は土曜日なのでキチュリー確定です。。

おまけ。アリさん対策🐜🐜案の定アリがわんさか寄ってきていたけど、お菓子の香りがするのに辿り着けないよう!!ともどかしそうにしていた。

あるインド人の日本旅行記

もう3月最終日。日本だったら卒業入学入社シーズン、桜を見てうっとりですが、こっちはホーリーも終わって夏が始まるんだなあという感じ。

29-31の予定だったホーリー休暇が、コロナを理由に急遽23-31に大幅増加!イェーイ。ガンガン本読もうと思っていたのだけど、読むスピードが遅いのに加えてホーリーのお菓子作りだの来客だのにかまけて結局1冊しか読まなかった…。

今回読んだ本はこちら→ ऋषि राज 氏著 "एक भारतीय की जापान यात्रा"

kindleでも簡単に手に入ります。

インド人が日本についてどう考えているのかということをちゃんと理解しないとなあと思っていて、Amazonで調べたら、こういう日本体験記みたいなのは意外と少ない(日本にあるインド体験記よりずっと少ない)ようなので、片っ端から読んでみようと思う。

薄くてすぐ読めるかなーと思っていたら、ウルドゥー語っぽい単語や古風な表現が結構使われていて、意外と時間がかかってしまった。

著者

リシ・ラージ氏は1975年デリー出身、デリー準州政府傘下にある企業で、鉄道関係の業務に従事。2012年に執筆したチベットのカイラーシュ山旅行記でインド政府観光省から受賞。2017年に日本政府の招へい(障がい者理解に関するプログラム参加)により、18日間に渡って来日。名古屋の障がい者関係の施設に滞在しつつ、内数日間を東京で過ごす。

まえがき

日本に留学・駐在経験のあるハルディープ・シン・プリ―航空大臣が執筆(コロナ禍で国際線運航停止延長のときに毎回会見で出てくるイメージがあったので、日本に関係のある方だとは全く知りませんでした…!)。限られた文字数の中で、①チームワーク、物事の細部への理解、謙虚さといった日本人の長所によって日本が経済発展を遂げてきたこと、②規律、忍耐によって様々な自然災害を乗り越えてきたこと、③掃除と清潔さを保つ習慣(स्वच्छ भारत の総括もしている由)を挙げられていた。

鉄道について

幼いころから鉄道好きで、鉄道関連の仕事に就いていることもあり、日本での新幹線、地下鉄乗車体験や、日本のODAによるデリーメトロ導入時のインド国民の反応やジレンマ、現在進んでいるムンバイーアーメダバード高速鉄道プロジェクトへの期待と懸念などについてインド人かつ鉄道関係者の視点から書かれていた点で、良本といえる。

90年代にデリーメトロを導入する際、やはり庶民から「割に合わない」として反発の声が出たという(ちなみに、持て余すような身の丈に合わないものを、"सफेद हाथी"というらしい。)。67年にラージダーニーエクスプレスを導入したときも同じような反発があったらしい。デリーメトロはともかく、ムンバイ→アーメダバード間の新幹線にわざわざ乗る庶民はいないよね。ODAって難しい。。

著者は、デリーメトロの導入に関して、日本の経済支援に感謝するとともに、高速鉄道にも大きな期待を寄せていた(職業上の立場もあるからあまり突っ込んだことは書けないのかもしれない。)。デリーメトロ導入によりインドが得た利益として、大気汚染低下(90年代よりずっと空気汚いと思うんだが)、交通量減少、高水準の交通手段入手等が挙げられていたが、著者が感じる最大の利益は、交通事故数の減少だという。デリーにおける1日あたりの交通事故死者数が、7人から3人に減少したらしい(ちなみに、デリーメトロを使って自殺を図る人は1か月4人いるらしい。)。

日本によるデリーメトロ案件の支援額がはっきり書かれていたが、額だけじゃないんだよなぁ、というのが少しもどかしい。これまで自力で(まあ東海道新幹線の時は日本も借りたお金で作ったわけだが)培ってきた技術を導入するわけだし、それに伴う政府関係者やコンサル、商社、メーカーのマンパワー、雇用の創出、運用時のノウハウなんかはプライスレスな部分なので、そこも普通のインド人に分かるような形で書いてもらえたらもっと良かったと思う。

高速鉄道に関しては、運賃面の懸念について書かれていた。ムンバイーアーメダバード間の高級バスの運賃が約1500ルピー、現存のエアコン付き一等車の運賃が2700~3000ルピー、航空便の運賃が2500~3000ルピーとのこと。著者によれば、この運賃構造によって、インド鉄道は安価な航空便の影響を受けているという。これは高速鉄道にも降りかかる問題かもしれない。

鉄道大好きな著者なので、たまに細かい性能の話が続いて思わずクスっと笑ってしまった。1967年にラージダーニーエクスプレス、1988年にシャターブディー、2019年に導入されたインド産初の電動列車(ヴァ―ンデーバーラト)が誕生。ヴァ―ンデーバーラトでは、日本の新幹線みたいにシートを回転させて4人向き合って座れる設備が導入されたそう。

鉄道関係の記述については、著者の専門性が良く出ていて、読みごたえがあった。

障がい者支援の話

著者の専門外の話になるので、特段目を引くような内容はなかった。そもそも、専門外の著者が何故このプログラムに参加したのかこの本ではよくわからなかったが、鉄道におけるバリアフリー促進という意味で、本プログラムが活かされることを期待。

本によれば、インドでは障がい者の45%が学校に通っていないそうで、日本で障がい者施設を訪れて、障がい者に教育面をはじめとする生活支援が与えられていて、障がい者関連の政策や支援を自立した障がい者自身が担っていることに感銘を受けていた。ちなみに、デリーメトロでは、全ての駅でエレベーター完備らしい。

障がい者関連で印象に残ったのは、1965年の印パ戦争で頸椎を負傷し車椅子生活を余儀なくされた退役軍人のMajor Hari Pal Singh Ahluwalia氏の話。印パ戦争直後にエベレストに登り、障がい者向けの病院を運営したり、障がい者の権利向上に向けた活動をしているという。知らなかった~。

日本に関する印象

特に日本について学んだことのない著者の初来日、それも18日間という短期間だったので仕方がないが、日本に対する理解不足というか、表面だけで捉えている部分が目立った。日本人が読む分には面白いが、日本を知っているインド人は読まないだろうなという印象。

「年寄りが譲られた席に座らないのはその席を必要としていないからだ」、「黒い葉っぱに包まれた白米(おにぎりのこと)」「日本人はウォシュレットがあるからインド人と同じくトイレットペーパーを使わない」、などなど。前知識なしにいきなり日本に来ると、こういう捉え方するんだなーというのが分かる。

一番突っ込みたくなったのは、銀行でお金を客に確認させつつ確認させるのに感銘を受けたという話の流れで、「日本の人々の誠実さ、自尊心そして愛国心は、全世界に知れ渡っている。」という記述。日本って、(例外はあれど)敗戦を機に愛国心をタブー視するようになった国だったと思うんですけど。。。日本人+愛国心を関連付ける記述が2-3か所程度あった。著者は18日間の滞在の中で、どこから日本人の愛国心を垣間見たのだろう。「愛国心のある人=良い国民」というインド的な思考回路のまま日本を見ているのだなあと思ってしまう。

著者はベジタリアン。18日間、ずっとベジタリアン食の入手に苦戦していて、読んでて惨めに思えた。牛乳、バナナ、コーンフレークばっかり食べていた。。。私のホームステイ先のお母さんも、日本旅行中は白米とポテトばかりだったらしい。そばとかサンドイッチとか、べジ食もなくはないんだけど、がっつり日本語+英語話せない店員ばかりだから苦労するのよね。。東京在住のインド人の友達は、モスバーガーベジタリアンバーガーを出した(菜食なのに満腹感が出る)ということで大喜びしていた。この風潮が広まっていくことを期待。

インド人にとって、日本では言葉とノンべジ食の問題が大きく立ちはだかるし、日本語を学ばなきゃだめだとか無理してノンべジ食べろとか言う気は全くない。が、正直なところ、普通の日本人と話したり、瞬間冷凍といった技術や隅々まで行き届いた物流のおかげで日本のどこでも新鮮な肉魚が手に入ることや、その調理技術を感じずして、本当の日本の素晴らしさを感じることは難しいというのは思う(インド来てから特に思う)。

本全体としては、誤字や固有名詞のミスが多すぎたことと、同じ表現や同じ話の繰り返しが結構見られたので、そこまで練られた本ではないなというのが正直な感想(まるで私のブログみたい)。日本語の挨拶や有名な地名をあまりにも間違えていると、日本自体のことは特にどうでもいいんだなーという印象を持ってしまう(自分が語学から入った人間だからかも)。自分も気を付けようとおもった。

数日前まではそこまで熱くなかったので、3つくらいの部屋とベランダとを行き来して読んでた。ベランダの作りがかわいい~。

1学期振り返り

今日はついに40度台突入。日本の夏の40度とは違って、日差しが暑いし風が吹くとめちゃ暑い!これがヒンディー語の授業で習ったलूなのかぁ、とちょっと嬉しい。

2学期が始まって既に1か月が経とうとしているけれど、ようやく1学期の成績が出て、全科目合格確定です!パチパチ~。

コロナ禍なので、授業もテストも全てオンライン。2月から対面開始だったのが、ヒンディー語科内の他コースの入学手続き遅れやら、ホーリーやらを理由にどんどん先延ばしに。そうこうしているうちに第二波到来、大学再閉鎖宣言(に近いもの)が発表され、周りのクラスメイトもどんどん村へ帰っていきました・・・。残りの1年半で対面授業を受けることはできるのでしょうか・・・?

留学準備をしていた時に色んな方のブログを見て参考にさせてもらったので、1学期振り返りをしつつ在籍コースについて書いてみたいと思います。出願時の記事はこちら↓

コースの雰囲気

私の在籍するMA Prayojanmoolak Hindi (Pattrkarita)は色んな専攻の子たちが人生に血迷って来る学科。私の代のクラスメイトたちの学部での専攻は、多い順に、ヒンディー語科、工学部、地理学科、マスメディア学科、政治学科といったところ。ほとんどがUP、ビハール出身。その他地域出身者は、ジャールカンド、西ベンガルが1人ずつ。シッキムっぽい名字の子が1人いるけど、授業に全く出ないので不明。留学生は私1人のみ(MA Hindiにはたまに留学生がくるが、このコースには滅多に来ないorもしかしたら私が初かもらしい。色んな意味で納得です。)。

定員は31人だけど、授業出席者は大体5人~13人程度。表向きはヒンディー語マスメディア学科だけど、みんながみんなマスコミ志望というわけでもないので、研究者の道を目指している子は5月にあるその道の試験の準備をしていたり、公務員志望の子たちはそっちに集中していたりという感じ。あとは通信設備の問題も実際にある模様。定期テスト:平常点の割合が7:3で、4割取れれば合格なので、授業に出なくても合格できるっちゃできるんでしょうね。

授業内容

授業は、月~土曜の週15-20コマ程度。先生が断固として時間割表を配らない(しれっとさぼりたいから)+コロナ長期休暇の影響を取り戻そうとして一部の熱心な先生が日曜まで授業をしていたので、正確なコマ数が分からない…。

1学期の授業は、「ヒンディー語文法」「標準ヒンディー語ができるまでの過程」「ヒンディー語の歴史」「インド憲法におけるヒンディー語の位置づけ」「経済自由化によるマスメディアへの影響」「独立運動期のヒンディー語メディアの役割」「新聞ができるまでの流れ」「マスコミでの働き方(リポーター、記者、編集者等のそれぞれの役割と心構え)」などがあった。

インド人向けの授業でヒンディー語文法?!という感じだが、意外と文法めちゃくちゃな学生が多くて(特にビハールの人・・・)、その上ヒンディー語の先生になりたい人も結構いるので、確かに教える必要があるのかもしれない。が、結局は学生のほとんどが退屈していて、かつ先生が問題を出して学生が答える方式だったので、一番真面目な学生と私だけがひたすら答えていることも結構あった。

ヒンディー語そのものについて深める授業は他にも結構あった。方言の分類だったり、ヒンディー語の専門用語を定める際の注意点だったり、ヒン英訳をする時の注意点だったり。ヒンディー語マスコミ学科とはいえ、教えている先生方のほとんどはヒンディー語畑まっしぐらでやってきて、マスコミのことは知らない人ばかりなので、BA Hindiとかで教えたことのあるものをそのまま流用してなんとか授業運営をしているというのが実情だと思う。留学生的には、新しい発見もあっておもしろかった。

1人だけジャーナリズムが専門の先生がいて、その先生の授業は面白かった。日本の大学教授に近い感じの人(必要以上に偉ぶったりせず、自分の経験を基に議論中心の面白い授業をしてくれる。)で、経済自由化をきっかけにインドの生活スタイルやマスコミが変わったさまだったり、緊急事態宣言の時の各社の報じ方を先生がベラベラしゃべり倒して、みんなも思ったことを好きなように話すスタイル。みんなこういう先生だったら良いのにと思うけれど、本をひたすら棒読みする先生や休講ばかりの先生がいるのも事実…。

他には、独立運動期のヒンディー語メディアに関する授業を担当していた先生の授業は、課題図書を基にディスカッションスタイルで授業が行われて、なぜか毎回私ばかり指されていた。。。日本人的にはマイナーな独立運動家や当時のマスコミ媒体の名前がじゃんじゃん出てきてついていくのが大変だった。英領期にインド諸言語で書かれた書物への取締法の数々だったり、独立運動を通じてインドでの共通語の必要性が認識されて、ヒンディー語憲法上に制定されるまでの過程を学べたのはためになった。

理解できたなと思っても、その上でちゃんと発言することは全く違うレベルが求められると痛感。ゆっくりたらたら話していると他の学生に被せられるし、質問しようと思っても「こんなくだらないこと聞いちゃダメかも…」といった幼少期から刷り込まれた日本人的思想に苛まれる。とはいえ、他の学生の質問の仕方も、それどうなのよ?!と思うことも多々あり。指定図書から適当な単語を拾って、「〇〇について教えてくださーい」とか。あと、先生の話は理解できても、他の学生のめちゃくちゃ訛りのある高速ヒンディー語が結構辛いので、なかなか議論にうまく乗れない。

もう一人忘れられない先生は、ボケたおじさん。出席者の名前を見て、「おやぁ、珍しい名前だねぇ、君はどこ出身なのかい?」「日本出身です。」「おぉーそうかぁー」というやり取りを何度もした。。。大丈夫かしら。。。一度クラスメイトの1人がミュートを忘れてクリケットを見ていたことがあったのだけど、「ミュートにしなさい!」というのすら聞いていない&先生がその学生を強制ミュートにする方法が分からず、先生の娘さんが登場したことがあった。「ほらーこの子はまだ6歳だけどもうスマホ完璧なんだよー」と先生もご満悦そうだった。

他には、本をひたすら棒読みするおじいちゃん、JNU大好きおばさん(学生からは、留保枠だからJNUに入れたくせにマウント取りすぎとか言われていてかわいそうだった)、学期中1回しか授業をしなかった長老(それも自己紹介して終了)、私にあたりの強かった先生(何故あたりが強かったのかは結局謎だが、課題出したあたりから態度が柔化した。)などがいた。

レポート課題

ロックダウンの時の長期休暇分を埋めるので精いっぱいということで、ちゃんとした提出課題はレポートのみでした。20枚くらい書いて提出。テストを超えた今となっては大したことないけど、当時は書き方が不安だったし、レポート期限がテスト直前だったので毎日追われている感じだった。詳細は以下のブログ参照。

オンラインテスト

そんなこんなで、シラバスの範囲が終わらないままテスト強行。今回は大学全体で方針が出され、オンライン実施&OBE(Open Book Examination=本やノートを見てOK)となりました。コロナの数少ない恩恵…。

テストの数日前に、mock examが実施され、みんな一斉に動作確認。ここで私のスマホではログインできないことが発覚し、手書きで答案を書く→スマホでスキャン+PDF化→gmailで送る→パソコンでファイルをアップロードという面倒い手続きが確定。。。

テストは、4時間半×4科目のテストを、1日おきに行うスタイル(オフラインであれば、1科目3時間らしい。)。

こんな感じで、どん!と問題が出てきて緊張が走る。

一問につき最低A4 3枚×4問かつ完全論述式。例によってとにかく描きまくる…。途中野菜売りの声がうるさかったり(これは想定内)、でっかい蜂みたいなのが部屋に入ってきたり、あと1番焦ったのは解答用紙アップロードしようとしてたときに停電したり😥

問題文が一行しかないから、聞いてる内容はこれであってるかな?とか、ちゃんとポイント抑えられてるかな?的な不安がつきまとう。この頃はニート息子が向かいの部屋で昼過ぎまでグウグウ寝てたので、叩き起こして代わりに書かせたらどんなに楽だろうか…と思いつつもグッと堪えて一人で耐える。ぶっ通しで書きまくった後は精魂尽き果てたという感じ。なんとか終わって本当によかった。

ただでさえカンニングが横行するインドですが、オンライン形式だったのでみんなやりたい放題だった模様。友達からは、「大学構内でみんなで協力しながら解こうや」というカンニングの誘いが来るし(大学構内でやるんかい!)、体調崩した女の子(クラスのアイドル)の代わりにそのファンの男たちがみんなで答案を完成させたり(筆跡でバレて問題にならないのが逆にすごい)、教授や学生みんなが入ってるwhatsappグループで解き終わった子たちが堂々と雑談を始めたり…。他学部では、何年も落ちまくってた子がオンラインテストのおかげで初めて試験クリアしたとか、そういう話も聞いた。対面授業再開を希望しつつも、試験はオンラインであってほしい!とみんな願ってます(もちろん私も)。

コースのメリット

・全部ヒンディー語で勉強できる→速読力とリスニング、心を無にして早くヒンディー語を書く力(卒業したら全く役に立たんがw)は確実に身につく。

・普通のMA Hindiとは異なり、文学には入り過ぎずに、政治や歴史などをヒンディー語で学べる(Prayojanmoolak Hindiというコースは、他の大学にもたまーにあるようだが、そもそも母数が少なく、マイナーな大学が結構多い印象。)

・外国と縁がない純インド人学生と並んで勉強ができる。彼らから聞くカーストや留保制度への不満、結婚観、就活への不安などの話は興味深いし、色々と考えるきっかけになる。

・年齢層は意外と広い(BA終えてそのまま20歳で入ってくる子もいれば、他でMAやったり公務員試験勉強期間を挟んだりして入って、20代半ばから20代後半という子も)。

本コースのデメリット

・くだらない理論の繰り返しにうんざりする(インドの大学に行く限りどこも同じようなもんなのかも?)。今回はオンラインテストだったから免れたけど、普通にテストする場合には、死ぬほどくだらない話を丸暗記する羽目になる。

・大半の先生がやる気ない(これも全インド共通?)

・周りの学生は、海外はおろかUPビハールの外に関して全く興味がない。将来仕事関係で会ったりということはなさそう…。

・マスコミ志望者が意外と少ない。マスコミの卵みたいな人たちと勉強できると思って入ったので、これは結構残念でした。。。

・授業のヒンディー語は鬼shuddh Hindiオンリーなので、ヒンディー語会話や英語は他所でカバーする必要あり。

・世界的に通用する学問ではないので、その後の希望進路によってはあまり良くない選択になるかもしれない。Prayojanmoolak Hindiという専攻は良くも悪くも学際的で、ヒンディー語をベースにしつつ、インドの歴史政治憲法、ヒン英翻訳などを広く勉強するので、何やってるのかよく分からない学科だと思う。インド人ですら、何その学科?という感じの反応をするレベル。修士取ってJPOに挑戦したいとか、インドで通用する学歴をとって成功したいとか、そういう人はもっと名高い学部に行った方が良いと思われ。

・論文なし&詰め込み学習スタイルで、20-22才の子たちが通うところなので、日本や諸先進国の修士課程に比べたら中身のレベルは劣ると思う(他の大学やコースは違うのかもしれないけれど、少なくともこのコースではよく感じる。)。

今月から始まった2学期はゆるーい先生たちが集まっちゃった感じですが、自分で雑誌新聞を作る課題があるので楽しい。本来であれば2週間のマスコミインターンがあるのですが、この第二波の感じだと怪しいかもなあ。

雑誌・新聞課題は、日本をテーマに、オリンピック・日米豪印・コロナあたりを柱にして書こうと思っています。社説的なものを入れなきゃいけないのですが、「オリンピック-浮き彫りになる日本のジェンダー問題-」みたいな内容ばっかり浮かぶのが悩みどころ。誰か私に明るいニュースをくれ〜

バラナシでピアスを開けてみた

ハッピーホーリー!!

バラナシに来てからお出かけや来客の機会が増えて、日本から持ってきたイヤリング4種類の使い回しにも限界が…!インドでは小さいうちにピアスの穴を開けるので、本当にピアスしか売っていない!(愚かながら、知らなかった)ということで、ようやっとのことでピアスの穴を開けに行ってきた〜フ〜〜誰か褒めてくれ。

私は相当のビビり。痛いの大の苦手。超健康体頭痛腹痛ほぼなしなので痛みに耐えた経験もない。インドに来る前にワクチン打ちまくって、注射だけは若干自信を持ち始めたところ。

色んな人のブログを読んで勇気をもらったので、私も次の人に繋ぐべくブログを書きたいと思います(バラナシのピアス屋情報の需要はなさそうだが)。

私を後押ししてくれた方々

ここ最近はピアス開けたい病で、色んな人に相談しまくってました。。感謝の気持ちを込めて、後押ししてくれた方々のことを記しておく。

私を後押ししてくれたものそのコメディードラマの主人公の奥さんがつけているピアスが可愛すぎる!

&tvで平日22時からやってるコメディー番組(Happu Singh ki ultan paltan)にどハマりしていて、最近はいつもホームステイ先の家族と見てる。カーンプルのおっちょこちょい警部とその家族のお話なんだけど、奥さんがめちゃ美人でいつも可愛い傘みたいなピアス(jhumkaというらしい)を付けていて😍😍😍このピアスはイヤリングだと落ちちゃうなーと思ったところからピアスの穴開けたい病になりました。。

私を後押ししてくれたものその②:インド留学経験者の友達の発言

ビビりまくってピアス開けたことのある人たちに連絡しまくる私(迷惑)。インド留学経験者の友達は留学前に日本で開けたらしく、「ピアス開けたらインドは楽しいよー」とのこと。その通り過ぎる。私も開けてからインドくればよかったよーと思ったものの時既に遅し。

それ以降、高級アクセサリーブランドtanishqのページを見ては、モチベーションを上げていきました。。。

私を後押ししてくれたものその③:母ちゃんの一言

ピアス開けたくなってからというものの、ホストファミリーに「開けたいよ〜でも怖いよ〜」とたらたら泣きつく日々(2週間くらいウダウダしてた。超迷惑)。ホーリー前日の夕方、「でもどこの店もホーリーでしばらく閉まっちゃうらしいから、そのあとかな…」と色々言い訳していたら、「夏になっちゃうから開けるなら今開けなさい!」とのこと。その通り過ぎる。

その後、YouTubeでインドの子たちがピアスの穴開けてる動画とか見て、こんな小さい子たちがみんな頑張っているんだ!!と勇気を出していざ出陣。母ちゃんが心配して「ついて行こうか?」と言ってくれたものの「大丈夫!」と振り切って家を出ました。

どこで開けるか問題

インドでピアスを開ける際の選択肢は、①クリニックで開ける、②タトゥーやピアスホールの専門店で開ける、③アクセサリー屋さんで開ける(道端にあるような店から高級店までピンキリ)、④ピアッサーを買って自分で開ける、のどれか。こうやって書く分には日本とあまり変わらないね。

これも色々ウダウダと考えた末に、②のタトゥーピアスホール専門店で開けてもらうことに。クリニックだと耳鼻科やアーユルヴェーダホメオパシーの医者が片手間にやっているところが多いようで、慣れてなさそうだなーと思ったし、アクセサリー屋さんで、バイトみたいな若い子にあけられるのも怖い…。こんなビビリな私なのでピアッサーは論外でした。

いざ、突撃

翌日はホーリー。今行くしかない!ということで、たまたま近所にあったそれっぽい店に突撃!

ジュエリー屋さんの地下にある、Fashion Addaという店。洋服のメッカみたいな店名でしょうか。それにしてはダサすぎませんか…。

バラナシのやんちゃな男の子たちはこういうところで服買ってるのかぁ、と思うと急に可愛く思えてくるw

施術

ででーん。店の一角にある、タトゥー&ピアススペース。タトゥーが入ったイカツイ兄ちゃん登場です。

「ピアス開けたいんだけど、痛くない?」と聞いたら「ぜーんぜん痛くないよ、オンリーハッピー」とのこと。表情からは溢れ出る自信。

ガンかニードルから選べて、ピアス代込みで500ルピー。ちょっと高いかも?と思ったけど痛くされたくないから黙って払う。ガンもニードルも痛みは変わらなくて、ニードルの方が安全って言われたけど、一瞬で終わらせたかったから迷わずピアスガンをお願いした。

まずは耳たぶの消毒→感覚が若干麻痺するクリームを塗る(クリームの名前聞いたけど長い英語名でお兄ちゃん読めず)→開けるところにペンで印をつけて→バチン!

満面の笑みで「ハッピィ〜?मस्त?」と聞いてくるお兄ちゃん。超ハッピーですぅ。。。

両耳合わせて、ものの5分で終わったのでした〜〜〜。あっけない!開けてる時は全く痛みなし(ピアスのキャッチをはめてるときに若干痛かった程度)。

そういえば開ける位置確認したりピアス選んだりとか一切なかったし、お兄ちゃん終始電話しながらやってたけど、まあ痛くなかったのでもうなんでも良いです。毎日10-12人の穴を開けてるだけあって、位置もバッチリでした!

痛くなかった!と喜んでいたら、じゃあ鼻ピやタトゥーもしていったら?と言われ、丁重にお断りした笑 見た目イカツイけど馴れ馴れしくなくて良い感じの兄ちゃんでした。ありがとう〜〜!

アフターケア

兄ちゃん曰く、「ターメリックの粉末とマスタードオイルを混ぜてペースト状にしたものを毎日塗る。10日間は水をかけるな。」とのこと。あからさまに、「もう穴開けたんだからはよ帰れ」という感じでダルそうに話す兄ちゃん…。

日本語でググると「衛生第一!弱いシャワーを毎日当てて、様子がおかしかったらボディーソープの泡で洗浄」とのこと。どっち〜〜〜

要は、細菌発生を避けるのが大事とのこと。インドの水自体に細菌がウヨウヨしている可能性大なので、インド式にやってみることにする。こんな人が多い国の女子みんながこの方法でやってるわけだし!そもそも桶で水浴びしてるから、弱いシャワーとか無理だし!

ペーストを作って、表裏塗り塗り。穴まで届いているのかよく分からない…。

じゃぶじゃぶ洗い流せないので、耳たぶだけ常時ホーリーみたいになる。

今のところは痛みもなく順調!素材が安そうなのが心配だけど、今更どうしようもない。母ちゃんも、「膿んできたらニームの枝をさしておけばなんとかなる!」とのこと。

早く可愛いセカンドピアスが欲しいなー!!傘みたいなピアスつけるのは本当に穴が安定した半年後とかになるらしいので、日本でもつけられそうな良い素材のスタッドピアスを探し中。。

MASAAN

第二波真っ只中のインドからナマステ。V字描いてんなーと思ってたら第一波を余裕で超えてきた。。。2月のあの落ち着きはなんだったんだ?!ワクチン接種も始まったしもしかしたら夏休みに旅行とかできるかもーなんて思ってたのに…コロナしぶとい。

昨日は同級生が陽性になり、今日は教授が陽性に。ホームステイ先の家族も、あの人もなったこの人もなったという話で持ちきり。昨日の新規感染者数、バラナシだけで1500人超えらしいので、こんなに多いのも納得がいく。

家賃払いに奔走した4/1以降、もう10日以上は家を出ていない。

最近の楽しみは、夜の9時過ぎに外出禁止令中の街中をそそくさ歩く人たちを眺めることと、ベランダで太陽を浴びることと、庭のお花の香りを嗅ぐこと。のどか〜。

どこかに行けるわけでもないし、大学の先生たちもやる気がなさそうなので、とりあえずバラナシについて描かれた本や映画を制覇していくことにする。

まずはネットフリックスで見られるMASAANから。邦題は『生と死と、その間にあるもの』。

あらすじ(ネタバレ)

バラナシのバラモン家庭で育ったデーヴィー(Richa Chadda)は、ほとんど面識のない男の子とホテルで肉体関係を持つが、警察に見つかってしまう。家族にバレるのを恐れて相手の男の子はその場で自殺するが、デーヴィーは捕まった場面の動画を撮られ、そのまま連行される。

デーヴィーの父親(Sanjay Mishra)が警察に呼ばれ、マスコミにバラさないよう懇願したところ、30万ルピーの賄賂を要求される。デーヴィーの父親はガンジス川のガート沿いで小さな商店を営んでおり、とても用意できる額ではなかったが、警察の脅しに負けてなんとか工面を試みた。デーヴィーはパソコン教室で働いていたが、ホテルでの一件が同僚の一人にバレてしまい、職場を転々とするようになる。ようやく見つかった鉄道会社の契約社員の仕事で、賄賂の足しを作ろうとし始める。デーヴィーは母親の死を巡って父親と長年のわだかまりがあり、それがこの事件をめぐって再燃しつつあった。

一方、ハリシュチャンドラガートで遺体の火葬をする家で育ち、大学でエンジニアの勉強をしつつ家業の手伝いをするディーパク・クマール(Vicky Kaushal)。バラモンの女の子に恋をし、格差を感じつつも2人は付き合い始める。ある日いつものように家業の手伝いを頼まれ火葬場に行くと、バス事故の犠牲者が大量に運ばれてくる。火葬場で処理をしていたら、それが彼女の遺体だということに気づく。

彼女のルビーの指輪を形見に拾うが、彼女の死を受け入れられないディーパクは指輪を川に投げ捨ててしまう。

ちょうどその時期、デーヴィーの父親は警察への賄賂集めに奔走していた。子分の男の子に素潜り大会に出場させ、優勝予想の博打でその男の子に大金を懸け、賄賂支払いに当てていた。ある日、その男の子は溺れて病院に運ばれ、デーヴィーの父親が掛けた大金が水の泡になってしまう。しかし、男の子は、ディーパクが捨てた指輪を拾い、その指輪を売り、賄賂の支払いが完了する。

デーヴィーはその後、アラハバードへ発ち、事件の際に一緒にホテルにいた男の子の両親の元を尋ねるが、追い出されてしまう。サンガムの近くで泣いていたデーヴィーがディーパクの目に止まり、2人はボートに乗る。

この映画、日本で見た時は途中で観るのをやめてしまっていた。バラナシの土地勘が多少ついてきたので、今回は楽しんで見れた。

馴染みのある地名がガンガン出てきてくる。学生同士のデートでアッシーのピザ屋はちょっと生意気だと思うけども…少なくともBHUヒンディー語科ではあり得ないな笑

デーヴィーが警察に捕まってどん底に突き落とされたところから始まるので、暗いトーンで話が進んでいく。ディーパクの恋愛模様にワクワクするかと思いきや、ディーパクの彼女が亡くなってしまうので再びどん底へ。インド警察の賄賂要求、デーヴィーの噂が広がる田舎の生きづらさ、カースト差別と家業へのコンプレックス、格差恋愛など、インドの闇がひたすら映し出される。

が、不謹慎ながら、夜ひたすら火葬をしているガートの絵が綺麗だった。。

ディーパクの彼女が詩を読み聞かせるシーンがすごく美しかった。特に、この詩の一節は、この2人の行方を予言しているかのようで、最後の結末まで知った上で改めて見ると深い。

मुसाफ़िर हैं हम भी मुसाफ़िर हो तुम भी 
किसी मोड़ पर फिर मुलाक़ात होगी -बशीर बद्र

バラナシという共通の舞台で二つのお話が同時に進んでいくので、デーヴィーとディーパクはきっとどこかで出会うんだろうなーと予想ができてしまうわけだけれど、2人が出会う前に一つの指輪でつながって、それをきっかけに色々と解決に向かう感じがスッキリ心地良かった🥳

Vicky Kaushalは誠実そうな役柄が似合いますな。Razi、Uri、Sanjuと見てきたけど、どれも個性が強くなくて良い。デーヴィー役の女の人は、Madam Chief Ministerのマーヤーヴァティーのイメージが強すぎた〜〜

バルフィー

季節が変わっているのを毎日感じる。日本の四季は気候+花で感じることが多いけど、こっちの四季は気候+野菜果物で感じることが多い気がする。今は、細いドラムスティック、オクラ、ナス、トマトがメイン。先月散々食べていたマタルはぱったり見なくなってしまった。デリーでは高級スーパーでレタスやブロッコリーを買ってバリバリ食べるのが好きだったけど、季節の流れに身を任せる感じも大変いとをかし。

日本では豪華な食事=寿司焼肉だったけど、旬の野菜をお腹いっぱい食べれるって幸せなことだし、それで幸せを感じること自体が幸せだよなー。ホームステイ先のお父ちゃんが子どもの頃は旬の野菜しか手に入らなかったので、真夏のカレーにはトマトが入っていなかったらしい。この半世紀でカレーの作り方も変わったんだろうねぇなんて話をしていた。

そして最近、マンゴーをよく見かけるようになって嬉しい!!この時期のマンゴーは南インド産で、値段も200ルピー/キロと少し高め。6月頃になると北インド産が出回り始めて、値段も下がって甘味も増すそうな。地元の人たちは、3月のマンゴーはまだ全然ダメと言うけれど、私からしたら十分美味しくて満足です。。。

先日、今更ながらバルフィーを観た。学生時代、日本でも上映されていた記憶。当時そんなにインドに興味がなかったこともあり、ここまで観ずに来てしまった。家庭教師に絶対見るべきとゴリ押しされたので、ネットフリックスで観てみた!

あらすじ(ネタバレ)

明るくいたずらっ子のバルフィー(ランビールカプール)は、耳が聞こえず、話せない。ある日街中でシュルティに一目惚れし、持ち前の明るさで猛アタックするが、シュルティは既に婚約を済ませており、資産家と結婚してしまう。一方、幼馴染の自閉症を持った女の子ジルミル(プリヤンカー・チョープラー)と再会を果たす。

ある日、父が危篤状態になったバルフィーは、手術費用を工面するために、ジルミルを誘拐し身代金を稼ぐことを企てる。バルフィの父親は、ジルミルの家で使用人として働いていたが、不当に解雇されていた。ジルミルの唯一の心の拠り所だった乳母も同時に解雇され、ジルミルはますます心を閉ざしていた。

ジルミルはバルフィーに誘拐され逃避生活を続ける中で、バルフィーに惹かれていく。バルフィーは、ジルミルの父親から資金を巻き上げることに成功するが、危篤状態だった父親を亡くしてしまう。影響力のあるジルミルの父親と警察は血眼で誘拐事件の捜査をし、お札の番号からバルフィーが突き止められる。

聞くことも話すこともできないバルフィーは、警察とジルミルの父親の企てにより、ジルミル殺害事件をでっち上げられてしまう。ジルミルの家は借金苦となっており、祖父から振り込まれたジルミルの口座の資金を狙い、ジルミルの父親は、ジルミルを施設に預け、バルフィーに殺害されたことにしてしまった。

そんなバルフィーに同情した警官は、一晩中尋問に付き添っていたシュルティに、バルフィーを逃がすよう持ちかける。夫がいつつもバルフィーのことが好きだったシュルティは、夫と離れることを決意し、バルフィーとともに町を離れる。バルフィーは必死にジルミルを探し、施設で再会を果たす。のちに結婚をするバルフィーとジルミル、そしてシュルティは3人で老後まで暮らす。最後には、バルフィーとジルミルの2人が同時に亡くなってしまう。

バルフィーの明るくみんなを元気にするキャラクターと、コミカルな逃走劇と、ダージリンの列車や街中が全てマッチしていて、初期のミッキーマウスを見ているみたいだった!笑えるシーンが多くて飽きない。この映画では、出会いのシーンで雨が降るのではなくて、悲しいシーンで雨が降る。どのシーンも美しい!

ただし、なんの前置きもなくバルフィーのキャラが炸裂するので、何も知らない人がこの映画を見て、聴覚障害=知的障害というイメージを持つんじゃないかと少し心配。そういえば、インドで障害者をあまり見かけないのはなんでなんだろう。

ランビールカプールの顔の雰囲気が明るい役柄にすごく合ってて、納得の配役!でした。プリヤンカーチョープラーはジョナスブラザーズのイメージしかなかった。Dil dharakne doの時も実物に近いイメージだったので、そういう役どころばかりなんだと思ってたけど、この映画では自閉症の女の子になりきっていて女優だなぁと思いました。。

映画を見ながら、バラナシであの逃走劇やったら足がうんこまみれになって牛に衝突して終了だよな〜。ダージリンってあんな思いっきり走れるくらいきれいな街並みなんかな??なんてバラナシ目線で考えてしまった。ダージリンに行って足元を気にせず走りまくりたい〜〜。

おまけ。好物づくしの今日のランチ。細いドラムスティックのサブジー、生姜とニンニクを入れたアレンジ版ダール、ローティー、紫玉ねぎ、パーラク

パーラクも、ちょっと前まではバトゥワーだった。私がバトゥワー大好きなのを知っているホームステイ先の母ちゃんは、あんたが好きなバトゥワーの季節が終わっちゃったのよ〜というけれど、私には区別がつかない😅

最近は、オンライン授業終わってからご飯前にローティー修行をするのが定番の流れになっています。なかなか丸くなりません。。

つまらん遺跡記録更新

来ていきなりテストだったので、バラナシをあまり回れていない!暑くならないうちに、ラームナガル城に行ってきた。

結論から言うとつまんなかったー!これまでで一番つまんなかった遺跡・サフダルジャング廟をヨユーで超えた。

遠いのでOlaでオート予約したら、BajajのQuteという車が来た。初めて見た!ボディーがめっちゃ薄くて、ドアが軽すぎて閉めた拍子に壊れたんじゃないかと不安になる。事故に遭ったら圧倒的に弱いだろうなー。窓は旧式で、マニュアルのギアは上か下かのみ。例えば、1速→6速にするにはひたすら上にハンドルを上げる。やりにくそう。

オートを改造したのかな?というくらいのガッタガタな乗り心地ですが、ちゃんと車として売っているんですねー。40万円くらいの模様。面白かったけどもう乗らないな。。

脱線してもうた。ラームナガル城に行ったのでした。

外国人は200ルピー。入るといきなり小さなミュージアムに案内される。が、薄暗い部屋に古〜い武器や何の関係があるのかよくわからん乗り物や置物が飾ってあるだけなので、ボケーっと通過。中は撮影不可だったけど、撮影可でも写真撮らなそうなくらい見るものなかった。

あとでネットで調べたら、ミュージアムは昔の宴会ホールを改築したものだったそう。ぼろすぎて面影なさすぎー!

ミュージアムを出たら、ガートへの道がある。

地下道みたいなところをとにかく進む。

おおーっ。ガンガージーのお出まし〜。

実際に見にいくと、陽射しに加えて、物乞いや一緒に写真撮影を依頼してくる人たちに疲れてあんま楽しめなかったりするせいか、後から写真で見るとよりきれいに見える。ガンガー見てから、また同じ道をとぼとぼ戻る。

お猿の親子を見て終了。あっという間〜。

ラームナガル城は、Balwant Singhがバラナシのマハラジャだった1750年に建てられたとのこと。ムガル建築。今は威厳もなく全体的にオンボロだった。

末裔のアナント・ナーラーヤン・スィン氏は影響力こそないものの、たまにニュースになったりしている模様。姉妹たちが結婚後も城から出て行かず、城を巡って法廷争いになっているのだとか😅

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ホームステイ先のおじいちゃんに話したら、遠戚遠戚ー!って言ってた(冗談かと思ってたんだけど、鼻の形が一緒でしょって言われて、たしかにこの末裔と全く同じ鼻の形をしていたので信じ始めた)。

帰りに、ラームナガル近くの花屋に寄った。カレーリーフ、菊、ハイビスカスとか、色んな苗があって面白かった。買う気がなくてごめんなさい。

バラナシって川を超えるとぐっと田舎感が増す気がする。BHU関係者も外国人も片側にいるから、当然なのだろうけど。今はちゃんとしたお家にいさせてもらっているので特に苦労はないけど、向こう側に住んだら大変だろうなー。

おまけ。日米豪印(Quad)初の首脳電話会談がこちらでもニュースになっていましたが、、、バラナシのモールの遊具も日米豪印!ということですかさずパシャリ。