ヒンディー語クラス振り返り

7/3(金)、職場の寮を出て実家に戻った。実家にいるとパソコンに向かうことがなくなるので、更新がいつも以上に滞り気味になってしまう…。

寮を出た時は本気で今月中にインド行く気だったので、実家で色々準備するつもりでいたし、一年少々お付き合いのあったヒンディー語の先生方ともお別れをした。今日は備忘録も兼ねて、この一年お世話になったヒンディー語の先生方について書いておきたい。

大学でヒンディー語を専攻すると、教えるのは当然ながら大学教授や研究畑の人ばかりなので、簡単に文法をさらった後は延々と新聞を読む授業だった。それはそれで読解力がつくものの、新聞はスラスラ読めるのに日常用語はままならないといったおかしなことになってしまっていた。意欲的に勉強していた人であればそういった部分を自力でカバーしてバランスの良いヒンディー語力を身につけるのだろうが、私は在学中遊び呆けていたため、留学もせず、そのおかしなヒンディー語力のまま卒業した。

この一年付いた先生方は、こういった不足部分を見事に補ってくださった。映画を通じた日常表現や、ことわざ、文学などなど。もちろん堅苦しい新聞などにも触れつつも、色んなヒンディー語に触れることができた。

新聞は一見難解だが、主語・目的語・述語を全てきれいに、常に同じトーンで書いているため、本当にコーチングが必要なのは新聞ではないと改めて感じる。

この一年、日本人の講師の授業では、映画を通じたヒンディー語読解の授業を、ネイティブの講師の授業では、様々な教材を用いた実践的な授業を受けてきた。

日本人講師の授業では、映画の翻訳をしながら色んな語彙に触れた。『ラーマーヤナ 』や『ラヴァクシャ』、『Water(とらわれの水)』『メーン・クリシュナ・フーン』といったサンスクリット語彙だらけの映画から、『タハーン』『Well done abba』『dor』『koi...mil gaya』といった色んな地域のヒンディー語が用いられた映画を使って、訛ったヒンディー語に苦戦したり、シーンを暗に描いた歌詞を読み解いていった。

この70代の女性の講師は、色んな映画字幕やヒンディー語講座を手掛けているベテランであったが、良い意味でとっても若い方で、人間的な魅力がある方だった。なんというか、一緒に雑談をしていても違和感がないというか、文字通りまだまだ現役という感じ。30歳くらいで80年代にインド留学をされただけあって、謙虚でありつつも行動力がありパワフルな方で、心から尊敬する。また、今まで毛嫌いしていた詩の読解が初めて面白いと思えたり、行間にある意図のようなものを読めるようになったりと、確実に力がついた。最後には温かい激励の言葉をいただいたので、期待に応えられるように頑張りたいなと思う。

ネイティブの授業では、今ホットな政治トピックを受けた詩(例えばCAAの時のKagaz Nahin Dikhaengeとか)や、スタンドアップコメディーに触れたり、ことわざや慣用句も色々と教えてもらった。プレーム・チャンドや、インドのアマチュア作家の文学も何作か読んだ。童話やपंच तंत्र、NRIの子ども向けの教材を使い、多少はインドの常識的なものが身についた気がする。

先生はラクナウー出身のクリスチャンの方で、インドのエリート大学出身。日本語もペラペラで、在日歴もかなり長い。教育を受けて洗練されている感が伝わってくる。自身が英語以外の言語を徹底的に学習してきた経験があるため、なんといっても教え方が上手。インドの人は生活しながら英語をなんとなく学んだみたいな人が多いので、体系立てて外国人に言語を教えられる稀有な方だと思う。インドのトップクラスの方は、競争心剥き出しで英語で捲し立てるみたいなイメージを持ちがちだが、長年日本にいるためか、先生には全くこういうところがない。自分もこうやってインド人の懐に入っていけるような人になるべきだと思うけど、ハードル高…。

先生は反BJPということで、政治的に皮肉るコメディーや映像なんかをよくみた。偏っているという見方もあるかもしれないが、こういう考えの方とじっくりお話しする機会がなかなかなかったし、ヒンディー語からインドに入ると、「BJPの台頭=仕事が増えるチャンス!」的な考えをついしてしまう私にとっては良い機会だった。

お二方は、日本のトップクラスの教師陣と言えると思う。ヒンディー語科にいながら在学中は関係ないことばっかりやってきた私を軌道修正してくれた天才。ほぼ確実にこのブログは読んでいないと思うけど、この場で改めて感謝をしたい。