娘夫婦来訪

2月中旬からこれまでなかなか忙しかった。

テスト直前に大量のレポート課題が出される→テストでも似たような話を書きまくる→テスト期間にホームステイ先の娘夫婦来訪→インドで初めて体調崩す→極度のカレー拒否病→そして一学期のスコアが出ないまま、ゆる~く二学期が始まったところ。

続きを読む

バーンスリー奏者への第一歩

ラームラーム。バラナシは一気に暑くなってきた。とはいっても20度台後半なんだけど、日差しのせいかめっちゃ暑く感じる。1ヶ月前はデリーで凍えてたのが嘘みたいだ〜。

パフォーミングアーツ学部。

バーンスリー(インドの竹笛)を習いたくて、同級生と一緒にディプロマコースを申し込んだ。サークルがない代わりに、みんなヨガや古典ダンスや歌など、何かしらのディプロマコースに申し込んでいる模様。

外国人は5%の留保枠があるので追加料金さえ払えば大体のコースはフリーパス。ヒンディー語科に入る時も教授と簡単な面接があった程度だった。

こういうザル制度なので、ジェネラルカーストの同級生に「いいな〜外国人は枠があって〜俺たちは競争率が高くて大変なんだわ〜」とよく言われるので若干申し訳ない感じになる(留保枠で入ってる低いカーストの子たちもこういう思いをしているのかしら)。

パフォーミング・アーツ学部前でたむろしていたら、一緒に申し込んでいた同級生がテストに呼ばれた。がんばってねー!なんて他人事でエールを送っていたら、、、、「面接があるのであなたも来てください」とのこと。

えー🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️外国人はフリーパスじゃないんじゃないんですか、、、、余裕ぶっこいていたのでバーンスリーも何も持ってきてないよ、、、!

手ぶらでいいからと言われよくわからん部屋に連れてかれる。何やるんだと聞いたら「グルジーが来るから待ってなさい」とのこと。高まる緊張!

しばらくしてグルジー登場。グルジーとは言っても見るからに同世代。これはやる気を見せればなんとかなるだろ〜と突然根拠のない自信が出てくる私。 

自己紹介タイムもそこそこに面接が始まる。

グルジー「aapke guru ji koun hain?(あなたが師事している師匠は誰ですか)」

私「YouTubeです」

笑いを堪えるグルジーとその弟子達。ここはどう取り繕ってもバレると思い、インドに来たばかりということと、インド音楽経験皆無ということを伝える。でもがんばります(にっこり)!みたいな感じで乗り切ろうと試みる。

しかしやる気アピールもインドで奮闘してる外国人アピールも通じないグルジー。「本当に何も音楽習ったことないのか?(信じられないみたいな顔)」と何度も聞かれる。「ないです!」と開き直る私。(後から気づいたけど子どもの時ピアノ習ってたからそれ言えばよかった。完全に忘れてた〜。)

困り果てたグルジー「じゃあヒンディー語の歌を歌ってください。」

私「(ええええええええ)」

とても逃げられそうになかったので、唯一歌詞を覚えていた”हम होंगे कामयाब“の一番を歌う。フー。これでいいだろ〜と思っていたのも束の間、次は日本語の歌を歌うように言われる。

音痴だし歌興味ないし、カラオケも酒に集中するか踊り狂うかしかしないので、まじで歌える曲がない。

「いや、、、歌詞を覚えてなくて、、、」とモジモジする私。グルジー「自分の国の歌くらいちゃんと習得しておかないとダメだ」とお説教モードに。だんだん、何かしら歌わないと合格はおろか家にすら帰してもらえなさそうな雰囲気になってくる。。

困り果てた私、ええいこれなら覚えてるぞと思い、最終手段の君が代を歌う。インドの歌謡からはかけ離れた哀愁漂う低いトーン。目の前のグルジー、どうしたらいいかよく分からないような顔になっていく。はるばるインドまで来て私は何やってんだろうと思いつつ歌い切る。

ヒンディー語も日本語も歌ったんだから、もうこれで解放!と思ったら、どこからか得体の知らないバーンスリー登場🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️「吹け」とのこと。このご時世に、誰が口付けたんだかよくわからんバーンスリーを吹かされる。おえー。

サレガマパダニサ、サニダパマガレサと吹いてなんとか合格。こんなんだったら最初からバーンスリーだけのテストで良かったじゃんかよー。無駄に歌を歌わされた気分じゃ。

その後も友達を待ちつつ他のインド人志望者の様子観察。ディプロマコースなのに、既にめちゃくちゃ上手い人が多かった。学外からの志望者も割といて、既に実力はあるけど箔をつけるために来るらしい。

私の同級生はतेरी मेरीを吹いていた。私と同じくらいバーンスリーのできないインド人のおじさんは門前払いされていた。。歌を歌わされている人は他にいなかった。まじなんなんだ。。

待ち時間が長くて、昼間なのに酔っ払いに絡まれたり、アルナーチャルから来た学生と知り合えたり、いろんな専攻の子達と話す機会ができて楽しかった!コースが始まったら色々と友達できそうで楽しみ〜💕

その後は同級生達とキャンパス内をうろうろ。今日初めて会った子達も。

牛に追いかけられたり、最近再開した売店で30ルピーのコーヒーフロート飲んだりサモサ食べたりした。当たり前のように全員分払う男子学生と、何も言わずに当たり前のように奢られる女子学生。ちょっと意外でした。。

クラスメイトは本当にビハール出身の子が多い!途中からUP vs ビハールのマウント争いが始まる。彼らのヒンディー語はめちゃくちゃ早いし、教科書で習うきれいな文からかけ離れた形で矢継ぎ早にじゃんじゃん単語が降ってくるので、今は聞いてるだけで精一杯。。。

おまけ。昨日はVasant panchmiの翌日だったので、サラスヴァティ神の像+スピーカーを装備した大音量車がじゃんじゃん走ってました。。大通りに近い家ということもあって、3-4台はウロウロしていたような。車について踊り狂う男たち。コロナは何処へ。。

レポート提出!

1週間格闘していたレポートがようやく終わり、締切ギリギリに提出。開放感というよりは、ボロ布状態。。。ゴアやラクシャドゥウィープに逃げたい。

レポートから逃げてはよくガード周りをうろうろしました。。。

レポートは、A4を3〜5枚×4テーマ。

संचार प्रतिदर्श(欧米学者によるコミュニケーションのモデルを比較)、समाचार स्रोत(記者の取材源確保と注意点)、पारिभाषिक शब्दावली(ヒンディー語専門用語を定める際の注意点や学説の対立)、उदारीकरण और सूचना क्रान्ति(90年代の経済自由化と情報革命)の4テーマを選んで書いた。最初の二つはまじでくだらない話しかないので心を無にしてとにかく書いた。書きながらインドの文系学生が馬鹿にされる所以が分かったような気がして虚しくなりましたわ。。。

3つ目は、インドの独立運動以降のखड़ी बोलीの形成、インドの言語政策と絡めながら書いた。日本では専門用語が豊富で迷うことなくみんな同じ言語を同じように扱うので、政府機関や標識等で使う専門用語をどう定めるか?(サンスクリット語起源のガチガチの単語で統一すべきとか、地方言語や手間を考慮して英語にしちゃうべきとか、様々な意見の対立がある模様)というのはインドならではの問題意識という感じでそこそこおもしろかった。

4つめは経済自由化に伴うマスメディアの変化。レポートに落とすとなんか簡単であたりまえ体操な内容(ソ連崩壊、湾岸戦争WTO加盟、経済自由化の功罪、マスメディアへの影響)になってしまうんだけど、先生の授業は面白かった。経済自由化によってチャンネルがめっちゃ増えたとか、ロシアのセミポーンが入ってきて学生時代よく見てたとか、生活の均質化が起きてभारतीयता(インド人らしさ)って何だろうという問題意識を持ち始めた、などなど、当時の実体験は興味深い。一番興味がある内容だったけど時間切れ間近だったのでとりま書き殴ったという感じ。。。提出して先生から👍👍💐💐と返事が来た時に報われた感がすごかった。。本が手に入らなかったので、結構オリジナルな感じで書いてしまったんだけど、どう評価されるのか気になるところ。

最初の方に書いたレポートに力を入れすぎて、同級生から「この国の教授はレポートなんか読むわけないんだからそんな時間をかけるなアホか!本写して終わらせりゃいいんだよ!」と言われたり、家庭教師に見せたら「おしゃべりっぽいヒンディー語だね苦笑」と言われたりしつつなんとか提出です。。トホホ。アカデミックなヒンディー語に慣れてきたのと、本読むのが若干速くなった(気がする)のが嬉しい。

このレポート課題、元々は12月に出される予定だったのが謎に2月になった。テスト直前に課題と戦う羽目になったのまじ許さん。そして2/12からすでに一応テスト期間だけど、まだテスト日程が分からないという。。

そして今更ながら学生証ができた。もう一学期終わるんですけど!笑 ヒンディー語科の事務は強面ゴリラみたいなおっさんが牛耳ってて最初怖かったけど、なんだかんだ気にかけてくれるしアットホームだなということが最近わかった。

学生の個人欄は完全手書きで、学科長のサインと押印が入る。その他、大学の理念など。インドの大学らしいのが、これ↓。いじめ行為禁止に2ページも。。

入学した時も、本人のいじめしません宣言書と、親によるうちの娘はいじめしません的な宣言書の2種類を書かされた。大学院生にもなってまじかよ〜という感じだけど、大学が神経を使っている問題だそう。BHU入ってすぐのところには、ragging free universityです!みたいなでっかい看板もある。以下のページが参考になりました。

インドの大学における下級生いじめ(ragging)問題

レポートを出した翌日は何もやる気が起きなかったので、初めてまともにホストファミリーと過ごした👏働かざるものパーニープーリーくうべからずということで、娘の結婚記念ホームパーティーのお手伝い。

主要メニュー。ヘビー過ぎ。。。

これは私が作りましたえっへん(レシピは息子に教えてもらった)。サクサクのパフに、緑のチャトニーを敷き詰めて、マヨネーズサラダを詰めて、上にチーズをトッピング。

दही भल्लाのアレンジ版。耳なしトーストにヨーグルトを浸して、クミンパウダーとパプリカと塩をふりふり。

キッチンに立つ自分はまじでただの猫の手。野菜やスパイスの塩梅がわからないんだもん〜〜。みんなで娘の結婚式の写真を見たり、マダムの健康話に付き合ったり、マダムに疲れてキッチンのメイドさんとダラダラしたり。おばさんってどこの国も同じね。

ジャーパーン

バラナシに来て今日でちょうど1週間。

この1週間で既に、20代くらいの男にコロナ呼ばわりされたり、小学校低学年くらいの男の子に”China aa gayi(チャイナが来た)”と言われたりした。国を間違えられること自体はどうでもいいんだが、小さい子どもに悪意万歳で言われると意外と虚しくなる。こんなことを聞き取るためにヒンディー語を勉強しているわけではないんだけどなぁ。固有名詞ではっきりとは言われなくても、小さなお店とかで、今出会ったばっかりなのに既に私のこと馬鹿にしてんなーと感じることは割とある。日本にいる外国人もこういう苦労してそう。

今日はヤギを飼っているおじいちゃんに、「君の村はどこだ?」と聞かれた。日本人顔でヒンディー語を話すと、ノースイーストか?とかダージリンか?とか言われることはたまにあるけど、君の村はどこだ?という聞き方は、よそ者として見られている感がないような気がして、少し嬉しい。現に、おじいちゃんはネパールに割と近いビハール州のミルザープル出身なので、私の地元が近くなのではないかと思っていたそう。

「おじいちゃん!あたしゃジャーパーンから来たんだよ、ジャーパーン。」と答えたら「あのネパールの隣のか?」と首を傾げるおじいちゃん。「ネパールから東に進めばチャイナがあるでしょう、チャイナの南にある島国だよ!」と教えてあげたものの、いまいちしっくり来ていなそう…。おじいちゃんスマホを持っていないようだし、コロナはもう終わったと思ってるし(※一昨日?のバラナシのactive感染者数は67人!そりゃ皆油断するわな。)、ジャパンだのチャイナだのなんてどうでも良いのかも。おじいちゃんのヤギと触れ合うことさえできれば、私もどうでも良いよ…。

何か嫌なことがあっても、とことん純粋な人がどこからか現れて、埋め合わせをしてくれるインドなのでした。おしまい。

食用ほおずき。英語名はground cherry、ヒンディー語はरसभरी。爽やかで美味しいー。

バラナシのいつメン

もしかして、いつメンって死語なのかしら。。。

ホームステイ先のスケジュールが変わっているのが最近のちょっとした悩み。朝ご飯10時→昼ご飯14時→晩御飯21時🧟‍♀️キッチン・リビングが2階で、大体私は3階の部屋で勉強しているのでいまいち様子がわからず、ご飯が出るのが遅れると、家族みんな外に出て外から鍵をかけられたかな。。とか、このまま閉じ込められて餓死するのかな。。とか被害妄想をしてしまう笑 決して家から出ず何日も同じパジャマを着ている息子に合わせた生活リズムなのだろうか。ご飯は美味しいし晩飯は遅いしまじ太るー。

ホームステイ先のご飯はこんな感じ。朝はお母さんが簡単な軽食を作って、昼はメイドのビムラーおばあちゃん、夜はビムラーおばあちゃんのお嫁さんが作ってくれる。どれも超美味しいけど糖質オフと真逆の生活🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️

ホームステイ先はラージプートの家で、お母さんだけベジタリアンで、お父さんと息子はノンベジも食べる。大半がベジ料理で、たまーにノンベジが出るという感じ。

2013年(今から8年前だと…?!)に初めてインド旅行をした時に、結構日本食恋しいと思った記憶があって。チベット地区のレストランでモモを食べたり(あんまり屋台飯を食べなかった気がする)、今はなきデリーの日本料理屋「さくら」でラーメンを食べたものです。まあ当時の私は「インド料理=(今から思えば)あんまり美味しくない大学近くのカレー屋=バターチキンにチーズナン!」だったので、インド料理の良さが分かっていなかったというのも大きい。

でもこんなに美味しいベジ料理を毎日のように出されると、肉魚ほぼなくても全然余裕・・・。まだ1週間だからかもしれないけど、このままいけそうな気しかしない。ていうか日本って必要以上に肉食べ過ぎでは?!と初めて思った。

食べ終えた食器はベジ・ノンベジ分けて置いておき、また別のメイドさんが洗ってくれる。1週間いて分かったことだが、毎日やってくるメイドさんは計6人くらい?いる。以下バッター表を書いてみた(序列順)。

①ビムラーおばあちゃん: オンラインクラスで疲れた時の私の話し相手。昼前から夕方まで来てくれて、掃き掃除、洗濯、昼ご飯とチャイを担当。

②ソーヌー:ビムラーおばあちゃんの息子。日中の掃き掃除担当。持病があり休みがち。身内に押されて嫌々お見合い結婚。小さい子どもが1人いる。

③夜に来る美女(名前忘れた) : ソーヌーの妻。晩飯担当。寡黙で美人。

④朝のおばあちゃん: 拭き掃除専任。朝イチで来て、家中ひたすら拭いて帰る。

⑤朝のおばあちゃん2 : 前日夜の食器を洗う人。

⑥夜のおばさん: 日中の食器を洗う人。南インド出身っぽい。

なんかまだいた気がする。。。多すぎて忘れた。あとスタメンではないけど、たまにマットを洗いに来るおばあちゃんとか、役割謎な兄ちゃんとかもいる。どうしてこんな大量に細々と雇うことになったのか、いつか聞いてみたい。

①から③に書いたメンバーは隣に住んでてファミリー感があるけど、それ以外の人たちはあんま雑談しちゃいけなそうな雰囲気もある。。淡々と仕事をこなしてとっとこ帰る感じ。

日本の共働き夫婦が聞いたらさぞ羨ましい環境なのでしょうな〜。お父さんお母さんは共働きだし、メイドさんにとっては仕事が生まれるしでウィンウィンな関係。たまに家庭教師をお願いしているムンバイのマダムは、家に食洗機を導入したら母親に怒られたので施設に寄付したそう。曰く、インド国内の貧困層の仕事を奪って外国企業にお金を落とすのは間違っている!とのこと。なるほどー。理解はできるものの、食洗機もったいねぇー。

ビムラーおばあちゃんとヤギに餌やりをするのが一番和む瞬間。

ちなみにこのヤギは隣の隣の家のムスリムのおじいちゃんが飼っている。ホームステイ先から数歩程歩くと道行く人々の装いが変わり、ムスリムの居住区になる。このヤギ達は、20匹飼ってて管理しきれなくなって泣く泣く選んだ選ばれし3匹らしい。地面に撒いて餌やりしてたら、「ヤギだってpanditなんだよ!地面に落ちたエサなんて食わねえんだよ!」と怒られた笑 もう地面にエサは置きません。。。

ヤギって本当に賢い。地面に落ちたエサは食べないけど、手で食べさせてあげるとムシャムシャ食べる。そして、エサをあげて以来、私が前を通りかかる度に物欲しそうな顔で見つめてくる!顔もほのぼのとしていてほんと可愛すぎる。。。

グリーンピース(matar)の季節はもう時期終わるそう。今はどの野菜売りもmatarが大半を占めているけれど、もう少しでラインナップが変わるのかしらね。これまではいい時期にしか来たことがなかったので、暑さに恐怖を感じつつも楽しみ。

同級生との初対面

ナマステナマステ。

同級生とついに対面!これまでもチャットや電話で散々話してきたので、不思議な感じ笑

BA終わってそのままきた子であれば21くらい、既に他のコースでMAを終了してる子は23歳くらい?彼らから見れば私は圧倒的にババア。。日本の大学では老け顔キャラでしたが、こっちでは年齢が分からないのをいいことに、色々と教えてもらう末っ子ポジションを確立中ですw

インドの若者って何して遊ぶんかなーと思いきや、、、

キャンパス内の寺院へ行ってお参りをし〜

鬼信仰熱心な同級生がずーっとマントラ唱えるのをひたすら聞き〜

※この寺院にはいろんな神様がいますが、それら全部の神様に対応したマントラバリエーションを持ってました。ずっと音量でマントラを唱える彼を見守る私たち。जय श्री रामのと書かれた文字を手でなぞりながらめっちゃお祈りしてた、、、レア目の牛タタキが好きとか言ったらどんな反応すんのかな、、、

全員お祈りの仕方にダメ出しをくらい〜(手を合わせるだけじゃなくて床に触れろとのこと。すんません。)

ナンディーの前で何かお祈りしてみて!って言われたので、おばあちゃん家の仏壇のノリで「テスト合格しますよーに!」って手を合わせて大声でお願いしたら「ちげーよ!」と言われ〜

※ナンディーの耳のところでコソコソっと御願い事を言うのが正解らしい。そもそも仏壇で大声で「おねがいしまーす!」とか言うのってうちのおばあちゃん家だけなのかな??

キャンパス内に沢山あるअमड़ा (アムラタマゴノキというらしい)の実を、同級生がレンガを投げて取ってくれた😂

確保!

मेहनत का फल🥰🥰あんま熟してなかったから酸っぱかったけど、どこかマンゴーに似た味。

今月上旬まで、performing arts学科のディプロマコースの出願受付があるので、質問しに行ってきた。バンスーリーやろうか迷い中。サレガマパダニサもろくに吹けないんですけど大丈夫ですか?と聞いたら、इच्छाがあれば大丈夫だ!と言われた😂

そんなこんなで帰るかーとなってたところにホームステイ先のおじいちゃんとばったり。車に乗せてってもらい帰宅〜。

こっちの大学院生、健全すぎる。。。まあ、ヒンディー語科の学生が概ね地味というのも影響しているかもだが。コースの教授が授業内で、「ヒンディー語科に来る学生は大体農民の子どもとか貧しい層が多いのよ!あんたたちだってそうでしょう??」って言ってた笑 日本語科のイケイケ系の学生は、学生街のおしゃれなカフェに行ったりするらしい。

おまけ。一昨日の一面は来年度予算発表についてでした。初めてタブレットで予算発表が行われたのだとか。日本だと防衛費増加!社会保障予算倍増!くらいがちょろっと報じられるくらいだけど、こちらでは庶民の予算への関心が高いなーと思います。

ナマステバラナシ

ついたーーー。やっと着いたよバラナシ。5月くらいにこのブログを作って、コロナがなければ7月に着いていたものの、2月になってしまった。でもデリー生活も楽しかったし良かった!

バラナシについたらお決まりの、、、アッシーガート付近の体重計屋さんで体重測定笑。一回5ルピーです。いくら儲けてるの?って聞いたらこんなの何にもなんねーよ!と言われてしまった笑 そらそうだわな。

バラナシは3回目。1回目は2019年3月の旅行、2回目は2020年11月の大学入学手続きのとき。11月の時に比べて学生を沢山見かけるようになりました。皆戻ってきてるのね〜。私も早く同級生に会いたい!外国人は、ヒッピーカップルを1組見かけただけかな。お互いに「まだいたのね。。。!」みたいな目線で無言で見つめあってしまった笑 彼らはロックダウン中もずっとインドにいたのでしょうねー。すげえ。

こちらがホームステイ先のお部屋!小綺麗でいい感じ。3階だから蚊以外の虫の心配もナシ。蚊はやばい。蚊がやばすぎて夜起きて、ベープの中身が切れてたから人海戦術(※ひとり)で真夜中に10匹くらい潰した。。そんなこんなしてたら、今度は息子が彼女らしき人と電話で盛り上がっててうるさくて眠れず、、、🧟‍♀️🧟‍♀️🧟‍♀️

蚊を潰す時に日本のシューってする消毒液が思わぬところで大活躍。去年の緊急事態宣言の時の自分が聞いたらなんと勿体ない使い方!と思うことでしょう。この地では消毒液が沢山あるのです、、、夏場とか病気気をつけなければ〜

造りは伝統的なインドの家ですが、めちゃくちゃ大きい家で、部屋が余りまくってる。。。!そして私の部屋の隣にはおーっきなテラスが!サンセットが綺麗。ここでバンスーリー吹いたら気持ちいいだろうな〜まだカエルの歌しかできないけど。。。

家族で海外旅行するくらい裕福な家で、お手伝いさんも2人?くらいいて、何も不自由なし、、、ですが、トイレが桶オンリー!

これまで旅行しかしたことなかったからキレイなところでトイレを済ませるようにしてたし、今回住み始めてからはデリーの家で一人暮らしだったのでトイレットペーパー使いまくってた。でもこれから1年半ここに住む+大学のトイレは比べ物にならないくらいクソ汚くて言うまでもなく桶オンリーということを考えると、ここでトイレットペーパー生活維持は難しい。地方旅行の時にも絶対ぶち当たる問題。そして家族がみんな桶で洗ってるのに私のせいでお手伝いさんがトイレットペーパーのゴミ処理をしなきゃいけなくなるとなると申し訳ないし、彼らにとっては汚物がそのまま置いてある方が汚いのかも。でもシャワーならまだしも、桶で汚物に直接手を触るのは、、、、

とかいって悶々悶々と1日トイレを我慢した結果、当然ながら尿意に耐えられなくなり、ついに桶デビューを果たしました!パチパチ。意外といける。それと引き換えに大切な何かを失ったような気がするよ、、、

この家には日本人が通算7-8人くらい住んだことがあるという話を聞いていたので、これまでのみんなはどうしてたんだろう?とか、周りにいるインド留学経験者のみんなも通った道なのだろうか??う○ことかしなそうなあの可愛らしい先輩も?!とか、この1日色んな人の顔が脳内に浮かびました、、、汚くてすいません。

この一日中トイレを我慢しながらぐぐりまくってて、一番よくまとまってたのがこれ↓

難易度別にインドのトイレを比較してみる ~衛生面や気をつけたい点など~

まあでもゆーてこの記事にある「しょぼい洋式トイレ」くらいなので、インドの中ではまだ序の口なのでしょうね。。

今日のヒンディー語ことわざ

गोबर में फूल खिलना 掃き溜めに鶴